暗い焼跡を上本町八丁目まで歩き、上宮中学のまえを真っ直ぐ三町ばかし行くと、右側にこぢんまりした二階建のしもた家があった。
「ここです」天辰の主人が玄関の戸をあけると、その鈴《ベル》の音で二十《はたち》前後の娘が出て来た。唇をきっと結び、美しい眼をじっと見据えたその顔を見た途端、どきんとした。「ダイス」のマダムの妹だったのだ。妹は私に気づいたが、口は利かず固い表情のまま奥へはいった。やがて羽織を着た女が奥から出て来て、「あら」と立ちすくんだ。窶《やつ》れているが、さすがに化粧だけは濃く、「ダイス」のマダムであった。
「――どないしてはりましたの」
「どないもしてないが……」
「痩せはりましたな」
「そういうあんたも少し」
「痩せてスマートになりましたやろ」
「あはは……」
それが十銭芸者の話を聴いた夜以来五年振りに会う二人の軽薄な挨拶だった。笑ったが、マダムの窶れ方を見ながらでは、ふと虚ろに響いた。
「なんだ、お知り合いでしたか、丁度よかった。じゃ忘年会ということにして……」
天辰の主人の思いがけない陽気な声に弾まされて、ガヤガヤと二階へ上る階段の途中で、いきなりマダムに腕を抓られた。ふと五年前の夏が想い出されて、遠い想いだった。
けれど、やがて妹が運んで来た鍋で、砂糖なしのスキ焼をつつきながら飲み出すと、もうマダムは不思議なくらい大人しい女になって、
「――お客さんはまアぼつぼつ来てくれはりまっけど、この頃は金さえ出せば闇市で肉が買えますし、スキ焼も珍らしゅうないし、まア来てくれるお客さんはお二人は別でっけど、食気よりも色気で来やはンのか、すぐ焼跡が物騒で帰《い》ねんさかい泊めてくれ。お泊めすると、ひとりで寝るのはいやだ、あんたが何だったら妹を世話してくれ。まるで淫売屋扱いだす。つくづく阿呆な商売した思《おも》て後悔してますねんけど、といって、おかしな話だっけど妹と二人でも月に二千円はいりまっしゃろ。わてがもう一ぺん京都から芸者に出るいうても支度に十万円はいりますし、妹をキャバレエへ出すのも可哀相やし、まア仕様がない思《おも》ってやってまんねん」
世帯じみた話だった。パトロンは無さそうだし、困っても自分を売ろうとしないし、浮気で淫蕩的だったマダムも案外清く暮しているのかと、私はつぎの当ったマダムの足袋をふと見ていた。
新しい銚子が来たのをしおに、
「ところ
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