雁次郎横丁にある天婦羅屋で、二階は簡単なお座敷になっているらしかったが、私はいつも板場の前に腰を掛けて天婦羅を揚げたり刺身を作ったりする主人の手つきを見るのだった。主人は小柄な風采の上らぬ人で、板場人や仲居に指図する声もひそびそと小さくて、使っている者を動かすよりもまず自分が先に立って働きたい性分らしく、絶えず不安な眼をしょぼつかせてチョコチョコ動き、律儀な小心者が最近水商売をはじめてうろたえているように見えたが、聴けばもうそれで四十年近くも食物商売をやっているといい、むっちりと肉が盛り上って血色の良い手は指の先が女のように細く、さすがに永年の板場仕事に洗われた美しさだった。庖丁を使ったり竹箸で天婦羅を揚げたりする手つきも鮮かである。
 私はその手つきを見るたびに、いかに風采が上らぬとも、この手だけで岡惚れしてしまう年増女もあるだろうと、おかしげな想像をするのだったが、仲居の話では、大将は石部金吉だす。酒も煙草も余りやらぬという。併し、若い者の情事には存外口喧しくなく、玄人女に迷って悩んでいる板場人が居れば、それほど惚れているのだったら身受けして世帯を持てと、金を出してやったこともあるという。辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった。そのくせ帝塚山の本宅にいる細君は女専中退のクリスチャンだった。細君は店へ顔出しするようなことは一度もなく、主人が儲けて持って帰る金を教会や慈善団体に寄附するのを唯一の仕事にしていた。ほんまに大将は可哀相な人だっせと仲居は言うのだったが、主人の顔には不幸の翳はなかった。
 しかし、ある夜――戦争がはじまって三年目のある秋の夜、日頃自分から話しかけたことのない主人が何思ったのかいきなり、
「あんた奥さん貰うんだったら、女子大出はよしなさいよ。東条の細君、あれも女子大だといいますぜ。あんたの奥さんにはまア芸者かな」私を独身だと思っていた。
「女子大出だって芸者だってお女郎だって、理窟を言おうと言うまいと、亭主を莫迦にしようとしまいと、抱いてみりゃア皆同じ女だよ」私は一合も飲まぬうちに酔うていた。
「あんたはまだ坊ン坊ンだ。女が皆同じに見えちゃ良い小説が書けっこありませんよ。石コロもあれば、搗き立ての餅もあります」日頃の主人に似合わぬ冗談口だった。
 その時、トンビを着て茶色のソフトを被った眼の縁の黝い四十前後
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