、まず私の顔色をうかがってこう笑うのだったが、笑いはすぐ髭の中にもぐり込み、眼は笑っていなかった。肚の底から面白がっている訳でもなく、聴いている私もまた期日の迫った原稿を気にしながらでは、老訓導の長話がむしろ迷惑であった。机の上の用紙には、
(千日前の大阪劇場の楽屋の裏の溝《どぶ》板の中から、ある朝若い娘の屍体が発見された。検屍の結果、他殺暴行の形跡があり、犯行後四日を経ていると判明した。家出して千日前の安宿に泊り毎日レヴュ小屋通いをしている内に不良少年に眼をつけられ、暴行のあげく殺害されたらしく、警察では直ちに捜査を開始したが、犯人は見つからず事件は迷宮に入ってしまった)
 と、書出しの九行が書かれているだけで、あと続けられずに放ってあるのは、その文章に「の」という助辞の多すぎるのが気になっているだけではなかった。その事件を中心に昭和十年頃の千日前の風物誌を描こうという試みをふと空しいものに思う気持が筆を渋らせていたのだ。千日前のそんな事件をわざわざ取り上げて書いてみようとする物好きな作家は、今の所私のほかには無さそうだし、そんなものでも書いて置けば当時の千日前を偲ぶよすがにもなろうとは言うものの、近頃放送されている昔の流行歌も聴けば何か白々しくチグハグである。溝《どぶ》の中に若い娘の屍体が横たわっているという風景も、昨日今日もはや月並みな感覚に過ぎない。老大家の風俗小説らしく昔の夢を追うてみたところで、現代の時代感覚とのズレは如何ともし難く、ただそれだけの風俗小説ではもう今日の作品として他愛がなさ過ぎる……。そう思えば筆も進まなかったが、といって「ただそれだけ」の小説にしないためにはどんなスタイルを発見すればよいのだろうかと、思案に暮れていた矢先き、老訓導の長尻であった。
 けれども律儀な老訓導は無口な私を聴き上手だと見たのか、なおポソポソと話を続けて、
「……ここだけの話ですが、恥を申せばかくいう私も闇屋の真似事をやろうと思ったんでがして、京都の堀川で金巾……宝籤の副賞に呉れるあの金巾でがすよ、あれを一ヤール十七円で売るちゅう話を聴きましてな、何しろ闇市じゃ四十五円でがすからな。帰って家内に相談しましてね、貯金ありったけ子供の分までおろしたり物を売ったりして、やっと八千両こしらえましてな、一人じゃ持てないちゅうんで、家族総出、もっとも年寄りと小さいのは留守番に
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