の十月号を見ると「時代の小説家」という武田さんの文章がちゃんと載っていた。
三
一年たつと、武田さんは南方へ行った。そして間もなく、武田さんがジャワで鰐に食われて死んだという噂をきいた。
まさかと私は思った。武田麟太郎が鰐を食ったという噂なら信じられるが、鰐に食われたとは到底考えられないと思った。
「こりゃもしかしたら、武麟さんが自分で飛ばしたデマじゃないかな」
そう私は友人に言った。
「武麟さんがジャワで飛ばした『武田麟太郎鰐に食われて急逝す』というデマが、大阪まで伝わって来たというのは痛快だね」
雀百までおどりを忘れずだと私は笑った。
とにかく死ぬものかと思った。不死身の武麟さんではないか。
果して、武田さんは元気で帰って来た。マラリヤにも罹《かか》らなかったということだった。さもありなんと私は思った。
武田さんのいない文壇は、そこだけがポツンと穴のあいた感じであったが、その穴がやっと埋まったわけだと、私は少しも変らない武田さんを見て喜んだ。四年も外地にいたが、武田さんは少しも報道班員の臭みを身につけていなかった。帰途大阪へ立ち寄って、盛んに冗談口を利いてキャッキャッ笑っている武田さんは、戦争前の武田さんそのままであった。悪童帰省すという感じであった。何か珍妙なデマを飛ばしたくてうずうずしているようだった。
案の定東京へ帰って間もなく、武田麟太郎失明せりという噂が大阪まで伝わって来た。これもデマだろうと、私はおもって、東京から来た人をつかまえてきくと、失明は嘘だが大分眼をやられているという。
「メチルでしょう?」
と、きくと、そうだとその人は笑って、
「相変らず安ウイスキーを飲み廻ってるんですね。眼からヤニが流れ出して来ても、平気でヤニをこすりこすり、飲んでるんですね。あの人だから、もってるんですよ。無茶ですね」
無茶だとは、武田さんも気づいているのであろう。しかし、やめられない。だから「武田麟太郎失明せり」と自虐的なデマを飛ばして、わざとキャッキャッはしゃいでいるのだろうと思った。
「あの人は大丈夫ですよ。メチルでやられるからだじゃない。不死身だ。不死身の麟太郎だ」
私はそう言った。
武田さんはやがて罹災した。避難先は新聞社にきいてもわからなかった。例によって行方をくらましたなという感じだった。
「あの人は大丈夫だ。罹災でへこたれるような人じゃない。不死身だ」
私は再びそう言った。
四月一日の朝刊を見ると、「武田麟太郎氏急逝す」という記事が出ていた。
私はどきんとした。狐につままれた気持だった。真っ暗になった気持の中で、たった一筋、
「あッ、凄いデマを飛ばしたな」
という想いが私を救った。
「――今日は四月馬鹿《エープリルフール》じゃないか」
そうだ、四月馬鹿だ、こりゃ武田さんの一生一代の大デマだと呟きながら、私はポタポタと涙を流した。
そして、あんなにデマを飛ばしていたこの人は寂しい人だったんだ、寂しがり屋だったんだと、ポソポソ不景気な声で呟いていた。
新聞に出ている武田さんの写真は、しかしきっとして天の一角を睨んでいた。
[#地から1字上げ](「光」昭和二一年五・六月合併号)
底本:「世相・競馬」講談社文芸文庫、講談社
2004(平成16)年3月10日第1刷発行
底本の親本:「織田作之助全集 第六巻」講談社
1970(昭和45)年7月
初出:「光 五・六月合併号」
1946(昭和21)年6月
入力:桃沢まり
校正:富田倫生
2006年4月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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