。ここで「赤い」といったのは「恐怖」の表現です。この「赤」は佐伯の頭に喀血の色と見えるのです。
冒頭の一節、「古雑布」「古綿を千切る」「古障子」などの形容は勿論あなたのおっしゃるように視覚的ではありません。しかし、視覚的というのは絵と映画に任せて置きましょう。僕らは漬物のような色をした太陽を描いてもよいわけではありませんか。
友田恭助を出したのが巧を奏したとおっしゃいますが、あそこは僕としては一番気になるところです。失敗ではなかったかと思っています。但し、理髪店から「友田……」の声がきこえて来るところ、あそこがこの小説の眼目です。この友田は「聴雨」の坂田と同じ重要性をもっているのです。友田も坂田も青春なき「私」のある時代に映じたある青春の象像です。それで理髪店の「友田……」という声がきこえて来るわけです。しかし、あそこの真実感がないとおっしゃる。作者の技術の不足と思っています。
どうも自作をさりげなく当り前な顔をして語るのはむつかしいです。作品が自ら語ってくれるとやに下っている方が無難でしょう。作中の「私」一つの問題でも、たとえ「聴雨」の続篇を「若草」の十月号に書きましたが、この中に「私」はもう前二作の「私」でない、僕もいろいろに思案もし、迷っているのです。自作を語るどころの騒ぎではないようです。
以上御返事まで。
底本:「定本織田作之助全集 第八巻」文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日発行
1995(平成7)年3月20日第3版発行
初出:「大阪文学」
1943(昭和18)年10月
入力:桃沢まり
校正:松永正敏
2006年7月25日作成
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