掛けているわ」
 と、道子は口惜しそうに言ったが、ところが、その兄が間もなく貰ったお嫁さんは、ちゃんと眼鏡を掛けていた。
「それ見なさい。あんまりひとのことを……」
「しかし、僕のお嫁さんの容貌は、三割方落ちても、なおこのくらい綺麗なンだからね。凄いだろう?」
 兄はしゃあしゃあとして、得意になっていたが、まだ女学校を出たばかしの花嫁は、婚礼の晩つんなに[#「つんなに」はママ]幸福そうに見えなかった。むしろなんだか、悲しそうだと、道子は思った。
 ――眼鏡を掛けた女は、みんな悲しそうに見えるのかしら?
 と、道子は思って、悲観した。
 一月ばかり経って、すっかり兄嫁に馴染んだ頃、道子は、
「お姉様は、なぜ御婚礼の晩あんなに悲しそうにしていらっしたの?」
 と、訊いてみた。
「それはね、――」兄嫁はちょっと口ごもって、「あたしの一番の仲良しをあの晩お呼び出来なかったからよ。それが悲しかったの」
「どうして、お呼び出来なかったの?」
 しかし、兄嫁はふと赧くなっただけで、答えなかった。
 ところが、それから間もなく、兄嫁のところへ結婚式の招待状が来た。
「まあ、口惜しい」兄嫁は叫んだ。「道子さんこの女《ひと》よ、この方よ。あたしが自分の結婚式に呼べなかったひとというのは……」
 あっけにとられて眼鏡の奥で眼をパチクリさせていると、彼女は続けて「――学校時代、この女《ひと》と二人、どちらも一生結婚なんかしないで置きましょうねと、約束したのよ。だから、あたしその約束を裏切ったのが辛くて、呼べなかったのよ。顔を合わすのが怖くて、同窓会ほも[#「同窓会ほも」はママ]行けなかった――それが悲しかったのよ。でももういいわ。この女《ひと》だってもう結婚するんですもの」
 そして急に眼鏡を外して、そっと涙を拭いたかと思うと、何思ったのかいきなり、ぺろっと舌を出して、幸福そうに笑った。



底本:「定本織田作之助全集 第六巻」文泉堂出版
   1976(昭和51)年4月25日発行
   1995(平成7)年3月20日第3版発行
初出:「令女界」
   1943(昭和18)年6月号
入力:桃沢まり
校正:小林繁雄
2009年8月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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