でだから、この一部をそこへ挿むことにしよう。
 ――もともと出鱈目《でたらめ》と駄法螺《だぼら》をもって、信条としている彼の言ゆえ、信ずるに足りないが、その言うところによれば、彼の祖父は代々|鎗《やり》一筋の家柄で、備前岡山の城主水野侯に仕えていた。
 彼の五代の祖、川那子満右衛門の代にこんなことがあった……。
 当時満右衛門は大阪在勤で、蔵屋敷の留守居をしていた。蔵元から藩の入用金を借り入れることが役目である。
 ところが、ある年の暮、いよいよ押し詰まって来たのにかかわらず、蔵元町人の平野屋ではなんのかんのと言って、一向に用達してくれない。年内に江戸表へ送金せねば、家中《かちゅう》一同年も越せぬというありさま故、満右衛門はほとほと困って、平野屋の手代へ、品々追従賄賂して、頼み込んだが、聞き入れようともせず、挙句に何を言うかときけば、
「――頼み方が悪いから、用達出来ぬ」
 との挨拶だった。
「――これは異なることを承る。拙者の頼み様がよろしからずとは、何をもって左様申されるか」
 と、満右衛門が詰め寄ると、
「――貴方は、御主人の大切な用を頼むのに、手をお下げにならん。普通なら、両手を爾《しか》と突いて、額を下げて頼むところでしょうがな……」
 と言われた。途端に、満右衛門は頭を畳に付けて、
「――田舎者の粗忽許して下され」
 と、煮えくりかえる胸まで畳につけんばかりに、あやまった。
 すると相手は、
「――暫く其の儘《まま》で……」
 と、満右衛門の天窓《あたま》の上で咳などをして、そして、言うことには、
「これで頼み方がお判りでしょうがな」
「――はア」
 満右衛門は真赧《まっか》になって、畳にしがみついていた。
「――ははは……。頼み方を教えて、大切な金を貸すというのは、世間には類の無いことじゃ。しかし、貴方はとも角も、御主人は見捨て難い故、まあ、お貸ししましょう。頭をお上げになって、よろしい」
 満右衛門は頭を上げた咄嗟《とっさ》に、相手を討ち果たして、腹を切ろうと思った。が、いや、差しかかった主人の用向が大切だ、またおれの一命はこんなところで果すべきものではないと、思いかえして、堪忍をこらし、無事に其の時の用を弁じて間もなく退役し、自ら禄を離れて、住所を広島に移して斗籌を手にする身となった……。
 それより三世、即ち彼の祖父に至る間は相当の資産をもち、商を営み農を兼ね些かの不自由もなく安楽に世を渡って来たが、彼の父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れたあとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として、彼川那子丹造が生れた頃は、赤貧洗うが如きであった。
 新助は仲仕《なかし》を働き、丹造もまた物心つくといきなり父の挽《ひ》く荷車の後押しをさせられたが、新助はある時何思ったか、丹造に、祖先の満右衛門のことを語ってきかせた。
 兄姉の誰もがまだ知らなかったこの話を、とくにえらんで末子の自分に語ってくれた父の心を想って、丹造は何か発奮し、祖先は金のためにまたとない恥をかいた。よし、このおれは……と、荷車の押す手に、思い掛けない力が籠って、父親の新助がおどろくくらいだった。
 十六歳の時、丹造は広島をあとにして、立身出世の夢を宿毎に重ねて、大阪の土を踏んだ。時に明治十五年であった。
 すぐに道修町《どしょうまち》の薬種問屋へ雇われたが、無気力な奉公づとめに嫌気がさして、当時大阪で羽振りを利かしていた政商五代友厚の弘成館へ、書生に使うてくれと伝手《つて》を求めて頼みこんだ。
 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使わぬ肚をきめたが、八回無駄足を踏ませた挙句、五時間待たせた手前もあって、二言三言口を利いてやる気になり、
「――お前の志望はいったい何だ?」
 と、きくと丹造はすかさず、
「――わしゃ金持ちになりたい」
 と答えた。
「――そうか。それなら他所《よそ》へ行くが良かろう。おれはいま百万円の借金がある。この借金は死ぬまで返せまい。そんなおれに、金持ちになる道が教えられると思うのか。うはははは……」
 笑いやんで、五代は、
「――帰れ」
 と、言った。
 丹造はその後転々奉公先をかえたが、どこでも尻が温らず、二十歳の時には何とかの罪で罰金七円、二十一の時には罰金十円をくらった。
 それで何となく大阪に住みにくく、丹造は東京へ走った。職を求めて東京市中を三日さまよう内に、僅かな所持金もなくなり、本郷台町のとある薄汚いしもたやの軒に、神道研究の看板が掛っているのを見て、神道研究とはどういうものかわからなかったが、兎も角も転がり込んだ時は、書生にしてくれと、頼む泣声も出なかったほど、あわれに飢え疲れていた。
 広島|訛《な
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