飛ぶように売れ、有料広告主もだんだん増えた。
 もっとも、こう言ったからとて、べつだん恩に着せようというのではない。それに、もともとこの船場新聞ではお前もたいして得るところはなかった。それのみか、某事件の摘発、攻撃の筆がたたって、新聞条令違反となり、発売禁止はもとより、百円の罰金をくらった。続いて、某銀行内部の中傷記事が原因して罰金三十円、この後もそんなことが屡※[#二の字点、1−2−22]あって、結局お前は元も子もなくしてしまい無論廃刊した。
 お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやにやしていると、お前は、
「あんたという人は、えげつない人ですなあ」
 と、呆れていた。
「――まあ、そう言うな。潰してしまっても、もともとたいした新聞じゃなかったんだから……」
 と、笑っていると、お前は暫らくおれの顔を見つめていたが、何思ったか、いきなり、
「――冗談言うと、撲《なぐ》りますぞ」
 と、言って出て行き、それきりおれのところへ顔出しもしなかったが、それから大分経って、損害賠償だといって、五十円請求して来た。
 その手紙を見るなり、おれは、こともあろうに損害賠償とはなんだ、折角これまで尽して来てやったのに……と、直ぐ呶鳴り込んでやろうと思ったが、莫迦莫迦《ばかばか》しいから、よした。実際、腹が立つというより、おかしかったのだ。五十円とはどこから割り出した勘定だろうと一寸考えて、なるほど、罰金の額から、印刷費の残りを引いたのが五十円だなとわかると、おれは正直な話、噴きだしたくらいだ。阿呆らしくて、怒りも出来なかったのだ。それに、おれの方にも、案外呶鳴り込みに行けない弱味があった。と、いうのは外でもない。何も廃刊させようと思って、あんな危い記事を書いたわけではないが、しかし、ひそかにお前の失脚を希《ねが》う気持がなかったとは、言えなかったからだ。だから、廃刊になってみるとざまあ見ろと、おれは些か良い気持だったのだ。
 何故、そんな気持を抱いたのか。今だからこそ白状するが、原因はお千鶴だ。と、こう言えば、お前はびっくりするだろうが、当時おれもまだ三十七歳、若かった、惚れていたのだ。
 ところが、この博労《ばくろう》町の金米糖《こんぺいとう》屋の娘は余程馬鹿な娘で、相手もあろうにお前のものになってしまった。それも蓼《たで》食う虫が好いて、ひょんなまちがいからお前に惚れたとか言うのなら、まだしも、れいの美人投票で、あんたを一等にしてやるからというお前の甘言に、うかうか乗ってしまったのだ……と、判った時は、おれは随分口惜しかった。情けなかった。
 あとからは知らず、最初お千鶴はお前になんか一寸も惚れていなかったのだ。その証拠に……と言うのは、ひどく理詰めな言い方だが、お千鶴はおれに惚れていたのだ。いや、少なくとも、おれはそううぬぼれていた。その眼付きが証拠だと信じていた。もっともお千鶴は美人は美人にしろ、一等には少し無理かと思えるほどの眇眼《すがめ》で、本当はおれの思いちがいだったかも知れないが、とにかくお前よりはおれの方が好かれていたことだけは、たしかだ。
 それを、お前に、いやな言い方をすると、横取りされてしまったのだ。それもほかの理由でならともかく、おれが、大阪弁で言うと、「阿呆《あほ》の細工に」考えだした美人投票が餌になったのだから、いってみれば、おれは呆れ果てたお人善し、上海まで行き、支那人仲間にもいくらか顔を知られたというおれが、せっせっと金米糖の包紙を廉い単価で印刷してやっていたことなぞ、自分でも忘れてしまいたいくらい、情けなく恥かしかった。
 普通なら、嫉妬の余り、お前の顔を見るのもいやだと、それきり手を切ってしまうところを、そうしなかったのも、ひとつには、そんな気持を見すかされるのを怖れたからなのだ。いや、見すかされる云々は第二段、そんな大人気ない自分自身を恥じたからなのだ。
 けれど、さすがにおれは、おれのおかげで……と言っても、そんなに言い過ぎではあるまい――お千鶴をわがものにして、船場新聞の社長で収まり込んでいるお前を見ると、こいつ、良い気になりやがって、いっぺん失脚させてやったら、どんな顔をするだろうか、とひそかに思わぬこともなかったのだ……。
 どうだ? 驚いたか。恐れ入ったか。お人善しだとお前が思っていたおれの肚《はら》の中は、こんな風だったのだ。それを、損害賠償の請求とは、相手を知らぬ可愛いい振舞いを、お前もしたものじゃないか。普通、恩を知っている者なら、そんな五十円の賠償金なぞ請求できぬところを、そうしたのは、余程おれを甘く見たのだろうが、そうはおれは甘く出来ていなかった。いや、ただ甘く見たのではあるまい。それがお前の流儀なのだ。ちょっと余人
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