高札場の前を通り掛ると、人々が集って笑っている。見れば、
「万一首のなき者通行致さば、見あい次第に、きっとからめ参るべし。
右は今出川住人富田無敵の訴出に依れば、盗賊の逐電致せし者にきっとまぎれなき由、依って高札を掲げる事如件」
とあり、何となく面映ゆく赤面していると、意外な囁きが耳に入った。
「首のない男が風をくらったそうな」
途端に奉行の魂胆がわれを世の嗤い者にする事にあると判った。高札の文章にわざわざ『今出川往人富田無敵』の名を入れた理由も読めたと、直ちに奉行所へ乱入して…………と思ったが……。
「いや、それも大人げない。それよりも、件の首なき男を探し出して召しとらえ、これ見よと奉行へ突き出すに若かずと思い直して、旅に出たのでござる。旅籠、旅籠で割部屋を所望致せしは幸い相客の中に首なき男もがなとの念願から」
と、無敵は語り終わって
「――貴公はさぞお嗤いであろう」
打ちしおれていた。
佐助ははたと膝をたたいて、
「何の嗤いましょうか。首をふところへ入れて都大路を駈けたとは、近頃天晴れなる風流男、それがしもその趣向にあやかって、このアバタ面を懐中して歩きたいくらいでござる。いや、それがしもその天下第一の風流男に会いとうなりました。お差しつかえなければ、お伴致しとうござる」
と言うと、無敵は、
「よくぞ言って下さった」
と、佐助の手を握って、ハラハラと落涙し、既に道場を荒された恨みなど忘れていたのは勿論である。
翌朝から、二人は首のない男を探して歩いた。
「運よく召しとって、奉行所へ突き出せば、奉行はじめ狼狽し、やがてその狼狽をかくすために、やい、首のなき者よ、汝盗賊を働かんとせし罪科軽からず、速刻打ち首に致すとあわてて申し渡すに相違ない。そこで貴公すかさず、あいや、首のなき者を打ち首にとは、いかにして行わるるや、後学のために拝見致したしと、言ってやれば、溜飲が下ると申すものでござろう」
と、佐助が言えば、そうだ、そうだと無敵は喜んで、佐助の機嫌をとるために、
「山本勘助どのは左めっかち、右びっこ、身の丈|矮《みじか》く色黒く、信玄どのも驚かれたという男振りでござったが、知慧にかけては天下第一の器量人でござったな」
などと佐助を喜ばせるような話を持ち出して、この旅は楽しかったが、肝腎の首のない男には一向に出会わず、これではいっそ、ろくろ首の棲家を探して、首が遠出をしている隙をねらって胴を小腋にかかえて逃げ出すのも一法だなどと、言っている内に、石田三成が関東相手のむほん噂を耳にしたので、胴探しは一時中止して、無敵は佐和山へ、佐助は中仙道へ、右と左に別れて一刻も早く上田へ急がねばと、六尺三寸のノッポの大股で佐助は真昼の中仙道を夢中で走っていると、いきなり、
「やい、佐助、何を左様に急いでいるのじゃ」
と、空の声が三町四方に蚤の飛ぶ音も判る耳に降りて来た。
「おお、その天上よりのお声はまさしくおなつかしい戸沢先生!」
と、しかし走りながら、すがりつくような声を出すと、空の声も微笑を含んで、
「俺のこのしわがれ声が判るか」
「判らないで何と致しましょう、師の恩は海よりも高く、山よりも深……、おっと間違えました。山よりも高く、海よりも……」
「何をうろたえている。落着きなさい、見苦しい。走りながら口を利くからじゃ。だいいち師匠に口利くのに走りながらとは何事じゃ」
「はッ! 失礼しました。――ごらんの通り停まりました[#底本では「停まりした]と誤植]」
「汗を拭きなさい。アバタの穴からおびただしい汗の玉が飛び散っているわ。醜態じゃ」
「はッ! 只今!」
と、拭いていると、何故か師の優しさが身にしみて来て、涙が出そうになった故、あわてて、
「アバタのアの字は汗のアの字でござりますな。あはは……」
と笑いにまぎらした。
「くだらぬ洒落はよせ。だいたいお前は駄洒落が多すぎる。女のお洒落に男の駄洒落の過ぎたのは感心せぬて。士農工商師匠のこせついたのは見苦しいが、ことの序でに戒めて置くぞ。などといいながら、ついこの俺も駄洒落してしもうたが、ところで最前より何を急いでいるのじゃ」
と訊いて、納得すると、
「――ならば、何故に飛行の術を使わぬのじゃ。先日よりの汝の振舞い、時に能く忍びて神妙じゃ。今より飛行の術及び忍術を用いても苦しゅうないぞ」
と、思いがけぬ言葉に、はッ、かたじけのうござりますと、いきなり大地にひれ伏した。空よりの声はにわかに荘重になり、
「したが、飛行の術は[#底本では「飛行の術の]と誤植]卑怯の術ではない。めったなことに卑怯はならぬ。まった忍術とは……」
「忍術とは……?」
すかさず訊くと、戸沢図書虎先生は雲の上でそわそわとされているらしく、
「忍術とは、ええと、忍術とは、ええ、忍、忍、忍……と。うむ、よき洒落が出て来ぬわい。えい、面倒じゃ。ゴロ合わせはこれまで。雷が待っておる。佐助よ、さらばじゃ」
どういう風の吹き廻しか、さんざん駄洒落たあと、先生の声はそこで途絶えて、暫らくの別れであった。
「ああ、ありがたし、かたじけなし、この日、この刻、この術を、許されたとは、鬼に金棒」
と、佐助は天にも登る心地がした途端に、はや五体は天に登っていた。
しかも、佐助を喜ばしたのは、師もまた洒落るか、さればわれもまた洒落よう、軽佻と言うならば言え、浮薄と嗤うならば嗤え、吹けば飛ぶよな駄洒落ぐらい、誰はばかって慎もうや、洒落は礼に反するなどと書いた未だ書《ふみ》も見ずという浩然の気が、天のはしたなく湧いて来たことであった。
佐助はもはやけちくさい自己反省にとらわれることなく、空の広さものびのびと飛びながら、老いたる鴉が徒労の森の上を飛ぶ以外に聴き手のない駄洒落を、気取った声も高らかに飛ばしはじめた。
「おお、五体は宙を飛んで行く、これぞ甲賀流飛行の術、宙を飛んで注進の、信州上田へ一足飛び、飛ぶは木の葉か沈むは石田か、徳川の流れに泛んだ、葵を目掛けて、丁と飛ばした石田が三成、千成瓢箪押し立てりゃ、天下分け目の大いくさ、月は東に日は西に、沈めまいとて買うて出る、価は六文銭の旗印、真田が城にひるがえりゃ、狸が泣いて猿めがわらう、わらえばエクボがアバタにかくれる。エクボは二つ、アバタは大勢、こりゃ何としてもアバタの勝じゃが、徒歩《かち》(勝)で行かずに飛んで行けと、許されたる飛行の術、使えば中仙道も一またぎ、はやなつかしい上田の天守閣、おお六文銭の旗印、あのヒラヒラとひるがえること、おお、このアバタの数ほども、首なき男を作ってみせるぞ」
などと、富田無敵のために首なき男を作ろうと、奇妙なことを考えている。この男はどこまで正気なのか、わからなかった。
底本:「織田作之助 名作選集4」現代社
1956(昭和31)年5月20日初版発行
※誤植の確認に、「織田作之助作品集 第二巻」沖積舎、「ちくま日本文学全集 織田作之助」筑摩書房を使用しました。
入力:生野一路
校正:浅原庸子
2001年8月2日公開
2003年6月1日修正
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