家を探して、首が遠出をしている隙をねらって胴を小腋にかかえて逃げ出すのも一法だなどと、言っている内に、石田三成が関東相手のむほん噂を耳にしたので、胴探しは一時中止して、無敵は佐和山へ、佐助は中仙道へ、右と左に別れて一刻も早く上田へ急がねばと、六尺三寸のノッポの大股で佐助は真昼の中仙道を夢中で走っていると、いきなり、
「やい、佐助、何を左様に急いでいるのじゃ」
 と、空の声が三町四方に蚤の飛ぶ音も判る耳に降りて来た。
「おお、その天上よりのお声はまさしくおなつかしい戸沢先生!」
 と、しかし走りながら、すがりつくような声を出すと、空の声も微笑を含んで、
「俺のこのしわがれ声が判るか」
「判らないで何と致しましょう、師の恩は海よりも高く、山よりも深……、おっと間違えました。山よりも高く、海よりも……」
「何をうろたえている。落着きなさい、見苦しい。走りながら口を利くからじゃ。だいいち師匠に口利くのに走りながらとは何事じゃ」
「はッ! 失礼しました。――ごらんの通り停まりました[#底本では「停まりした]と誤植]」
「汗を拭きなさい。アバタの穴からおびただしい汗の玉が飛び散っているわ。醜態じゃ」
「はッ! 只今!」
 と、拭いていると、何故か師の優しさが身にしみて来て、涙が出そうになった故、あわてて、
「アバタのアの字は汗のアの字でござりますな。あはは……」
 と笑いにまぎらした。
「くだらぬ洒落はよせ。だいたいお前は駄洒落が多すぎる。女のお洒落に男の駄洒落の過ぎたのは感心せぬて。士農工商師匠のこせついたのは見苦しいが、ことの序でに戒めて置くぞ。などといいながら、ついこの俺も駄洒落してしもうたが、ところで最前より何を急いでいるのじゃ」
 と訊いて、納得すると、
「――ならば、何故に飛行の術を使わぬのじゃ。先日よりの汝の振舞い、時に能く忍びて神妙じゃ。今より飛行の術及び忍術を用いても苦しゅうないぞ」
 と、思いがけぬ言葉に、はッ、かたじけのうござりますと、いきなり大地にひれ伏した。空よりの声はにわかに荘重になり、
「したが、飛行の術は[#底本では「飛行の術の]と誤植]卑怯の術ではない。めったなことに卑怯はならぬ。まった忍術とは……」
「忍術とは……?」
 すかさず訊くと、戸沢図書虎先生は雲の上でそわそわとされているらしく、
「忍術とは、ええと、忍術とは、ええ、忍、忍、忍……と
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