漬飯をふるまわれたことのある富田無敵だと、すぐ判ったが、その富田無敵が何の仔細あって、彦根の旅籠のよりによって割部屋に泊るのかと訊けば、
「実は首のない男を探しもとめての旅でござる」
 と、言う。
 首のない男、これは耳寄りなと佐助が膝を乗り出すと、無敵は、
「それがしの話を聴いて、けっしてお嗤いめさるな!」
 と、さびしそうに念を押して語ったのはこうだった。
 ――四五日前の夜のことである。道場と知ってか知らずにか、無敵の宅へ盗賊がかかったらしく、真夜中に裏の戸がガタコトと鳴った。素早く眼を覚して、襷、鉢巻も物ものしく、太刀を片手に、いざ抜討ちと待ち構えていると、果して、戸の隙間からぬっと首を差し入れた。すかさず斬りつけたが、どう仕損じたのか、皮一枚斬り残したらしく、首は落ちずにブラリと前へ下っただけである。しまったと、二の太刀を振り上げた途端、首はすっと引っ込められて、盗賊はうしろも見ずに一目散に逃げ出した。直ぐあとを追うた。盗賊は月光を浴びて必死に逃げたが、ぶらつく首が邪魔になるらしく、次第に逃げ足が鈍って来た。二条で追いつき、あわや襟首をつかもうとした時、盗賊はぶらついていた首をいきなり千切ってふところへ入れたので、すかされて前のめりになった。その隙に盗賊はみるみる遠ざかったので、またあとを追うて行ったが、邪魔な首をふところへ入れてしまったせいか、男の逃げ足の速さはにわかに神《しん》か仙《せん》か妖《よう》か、人間とは思えなんだ。三条を過ぎ蛸薬師あたりで見失ってしまった。夜が明けると、早速この旨を奉行に届け出ると、
「とりとめなき事を届け出るものではない」
 と、一笑に附す。
「いや、根もなき事ではござらん。それがし確かに一太刀浴びせ申したが、残念にも風をくらって……」
 逃げてしまったと言いかけると、奉行はカラカラと笑い出した。
「なに? 風をくらって逃げた? 首のなき者がいかにして風をくらう事が出来よう。あらぬ事を口走るものではない」
 言葉尻をつかまえて、からかおうとした故、では、それがしの申すことを出鱈目、嘘いつわりと申さるるかと血相変えて詰め寄ると、その殺気におそれを成したのか、奉行はにわかに狼狽していった。
「あ、いや、左様に昂奮めさるな。――確かに首のなき者が風をくらって都大路を逃げ失せたのじゃな。しからば、早速触れを出す事に致そう」
 翌日、
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