、お茶子をした。
[#改頁]
第二章 大正
1
そこは貧乏たらしくごみごみとして、しかも不思議にうつりかわりの尠ない、古手拭のように無気力な町であった。
角の果物屋は何代も果物屋をしていて、看板の字も主人にも読めぬくらい古びていた。
酒屋は何十年もそこを動かなかった。
銭湯も代替りをしなかった。
薬局もかわらなかった。よぼよぼの爺さんが、いまだに何十年か前の薬剤師の免状を店に飾って、頓服を盛っているのだった。もぐさが一番よく売れるという。
八百屋の向いに八百屋があって、どちらも移転をしなかった。隣の町に公設市場が出来ても、同じことであった。
一文菓子屋の息子はもう孫が出来て、店先にぺたりと坐って、景品《あてもの》附きの一文菓子を売るしぐさも、何か名人芸めいて来た。
散髪屋の娘はもう二十八歳で、嫁に行かなかった。年中ひとつ覚えの「石童丸」の筑前琵琶を弾いていた。散髪に来る客の気を惹くためにそうしているらしく、それが一そう縁遠い娘めいた。
一銭天婦羅屋は十年路地の入口で天婦羅をあげていた。
甘酒屋の婆さんももうかれこれ十五年寺の門前で甘酒の屋台を出
前へ
次へ
全195ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング