を追いやっていたが、やがて「お前がマニラに居てくれては……」かえってほかの日本人が迷惑する旨の話も有力者から出たのをしおに、内地へ残して来た妻子が気になるとの口実で、足掛け六年いた比律賓をあとにした。
神戸へ着いて見ると、大阪までの旅費をひいて所持金は十銭にも足らず、これではいくらなんでも妻子のいる大阪へ帰れぬと、さすがに思い、上陸した足で外人相手のホテルの帳場をおとずれ、俥夫に使うてくれと頼みこむと、英語が喋れるという点を重宝がられて、早速雇ってくれた。
給料はやすかったが、波止場からホテルへの送り迎えに客から貰うチップが存外莫迦にならず、ここで一年辛抱すれば、大阪へのよい土産が出来る、それまではつい鼻の先の土地に妻子が居ることも忘れるのだ、という想いを走らせていたが、三月ばかり経ったある日、波止場で乗せた米人を、どう癪にさわったのか、いきなりホテルの玄関で、俥もろともひっくりかえし、おまけに謝ろうとしないのがけしからぬと、その場でホテルを馘首になった。
その夜、大阪へ帰った。六年振りの河童路地《がたろろじ》のわが家へのそっとはいって、
「いま、帰ったぜ」
しかし、返事はなく
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