声を立てた。
その声をききながら、〆団治がもとの蒲団へもぐり込もうとすると、足がひやりとした。
見ると、寝小便の跡があった。
なるほど、それで逃げてかえったのかと、〆団治はふと他吉の喜んでいた顔を想った。
6
ある夜おそく、折箱の職人の家に間借りしている活動写真館の弁士がにやにや笑いながらはいって来て、どす濁った声で言うのには、
「他あやん、あんたこの間新世界で三味線をもった五十くらいの婆さんを乗せなかったかね」
「なんや、刑事みたいなものの言い様するねんなあ、気色のわるい。玉堂はん、眼鏡かけてる思て威張りなや」
「ははは……」
左手で太いセルロイドの眼鏡を突きあげながら、橘玉堂はさむらいめいた笑い声を立てて、
「――なにが僕が刑事なもんか。僕は今日は仲人ですよ」
「仲人……? そら、お門ちがいや、うちの孫はまだ十やさかいな、おまはん仲人したかったら、散髪屋のおばはんとこイ行きなはれ」
「聴こえるがな、聴こえたら、また朝日軒のおばはん頭痛を起しまっせ」
広島生れの玉堂は下手な大阪訛りで言って、ちょっと赧くなった。
最近、朝日軒のおたかは頭痛を起して三日寝こんでいた。
日の丸湯の向いのミヤケ薬局はもう息子の儀助の代になっていたが、儀助の妻が三人の子供を残して死ぬと、途端におたかは駈けつけて、葬式万端の手つだいをし、はた目もおかしいほどであった。
おくやみを述べるのにも、なにかいそいそとしていた。
その後、彼女はなにかと病気の口実を設けて、薬の調合をして貰いに行った。
儀助は口髭を生やし、敬吉と同じように町内会の幹事をしていた。なお、敬吉と同い歳の四十二歳で、義枝と三つちがい、その点でも釣合っていると、おたかは思い、義枝がいきなり三人の子供の母親になれば、どうなるかと、義枝のちいさい身体をひそかに観察したりした。
かねがねおたかは、将棋好きの敬吉が商売を留守にしてはいけぬと思い、店の前に縁台をだすことを禁じていたが、やがて夏が来ると、自分から縁台を持ち出した。儀助が将棋好きだったのである。敬吉は田舎初段であったが、おたかに言いふくめられて、三度に一度儀助に負けてやった。
もはや、ひとびとは義枝が儀助の後妻になるものと疑わなかったが、秋になると、儀助のところへ、江州から嫁が来た。平べったい器量のわるい顔のくせに、白粉をべたべたとぬり
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