に高慢たれで、腕はともかく客あしらいはわるいと、母親のおたかにも心細くわかり、道供養に金を掛ける気持も出たのだろうが、ひとつには、娘の義枝のこともあったのではなかろうか。
どういうわけか、縁遠いのだ。二十六でまだ片づかぬのはおかしいと、近所の評判がきびしくて、父親も息を引きとる時まで、これを気にしていたくらいだ。
なお、義枝の下に定枝がいて、二十三といえば、義枝の歳に直ぐだった。しかも、そういう縁遠い小姑が二人もいては、敬吉に嫁の来手もあるまいと二十九歳の敬吉の独身までが目立ち、商売とちがって、ここでは彼の若さも通らなかったわけだ。おまけに、十七の久枝、十三の敬二郎、十の持子もあとに控えている。
父親の生きている時分はともかく、後家になったいまは、何か肩身のせまい想いに身が縮まって、おたかがそんな道供養を張り込んだ気持も、うなずけるのだった。
それかあらぬか、葬式が済んで当分の間、おたかは毎日かやく飯や五目寿司を近所へ配った。長屋の者など喜んだのはむろんである。わりにおたかの肩身が広くなったようで、それで娘の歳なども瞬間隠れた。
義枝はそんな母の心を知ってか知らずにか、忙しく立ち働いて炊事を手伝った。
小柄で、袖なしなどを色気なく着て、こそこそ背中をまるめ、びっくりしたような眼をしていた。器量もたいして良くなかった。
筑前琵琶をならい、年中「石童丸」を弾いて、それで散髪に来る客の心を惹いているように誤解されていることは、さきに述べた通りである。
父親の四十九日が済んで間もなく、紋附きを着た男が不意に来て、義枝の縁談であった。
気配で何かそれらしく、おたかは随分狼狽した。咄嗟の心構えがつかず、むしろ気恥かしく応待した。取り乱しては嗤われるかねがねの負目で、嬉しい顔も迂濶に出来なかった。
客は小憎いほど落ち着いて、世間話のまくらをだらだらとふった。
それで焦らされて、おたかはわざと濃い表情も自然に装えて、顔をしかめた。すると、縁談をきく心用意もどうやら出来たが、そうして落着いたところは、意外にも断る肚であった。
相手の身分も訊かぬうちに、そんな風に決めて、われながら意固地な母だったが、いまに始ったわけではない。
……父親の生きていた頃、三度義枝に縁談があったことはあった。
相手は呉服屋の番頭、公設市場の書記、瓦斯会社の集金人と、だんだん格が落
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