る時、亭主を叱った声が表通りまできこえ、通り掛った巡査があやしんで路地の中まで覗きに来たというくらい故、煙突の苦情は日の丸湯の番台へ筒ぬけだが、日の丸湯の主人はきかぬ振りした。
また、長屋の中で、改まって煙突の掃除のことで、日の丸湯へ掛け合った者はひとりもない。
日の丸湯の主人というのは、先代より引き続いて、河童路地の家主であり、横車《ごりがん》も振る男であった。
河童路地はむかしこのあたりに河童が棲んでいたという噂からそういう名がついたほかに俗に只《ただ》裏ともいい、家賃は只同然にやすいさかいやと、日の丸湯の主人は言っていたが、それさえ誰もきちんと払えた例しはなく、かたがた煙突の苦情も言うて行けなかった。
つまりは、貧乏長屋であった。
だから、たとえば蝙蝠傘修繕屋のひとり息子は、小学校にいる間から、新聞配達に雇われて、黄昏の町をちょこちょこ走った。
明るいうちに配ってしまわぬと、帰りの寺町がひっそりと暗くて怖い。十歳の足で、高津神社の裏門の石段を、ある夕方、ひと日、ふた日は晴れたれど、三日、四日、五日は雨に風、道のあしさに乗る駒も、踏みわずらいて、野路病い……と、歌いながら、あわてて降り、黒焼屋の前まで来ると、
「次郎ぼん、次郎ぼん」
うしろから呼び止められた。
振り向くと、血止めの紙きれをじじむさく鼻の穴に詰めこんだ他吉が空の俥をひきながら、にこにこ笑っている。
「他あやん、また喧嘩したんやなア。あんまり売りだしたら、どんならんな」
二軒並んだ黒焼屋の店先へ、器用に夕刊を投げこみながら、そう言うと、
「さいな、あんまり現糞《げんくそ》のわるい事言いやがったさかい……」
しかし、――他吉という男はど阿呆や、われが六年もいて一銭の金もよう溜めんといたマニラへ娘の婿を懲りもせんと行かす阿呆があるかと言われて、何をッと腹が立った余りの喧嘩だとは、さすがに子供相手に語りも出来ず、
「お初に告わんといてや」
しおらしい声で言った。
「さあ。どないしょ? ここが思案の四ツ橋……」
「子供だてらに生意気な言い方しイな。――どや、しかしもう、犬に吠えられたかて、怖いことあれへんか」
「犬か、犬はもう馴れたわ」
「そか、そらええ。次郎ぼん、なんぼでも、せえだい働きや。人間はお前、苦労して、身体を責めて働かな、骨がぶらぶらしてしまうぜ。おっさんら見てみイ。六年ま
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