、家の中はがらんとして、女房や、それからことし十一歳になっている筈の娘の姿が見えぬ。
 不吉な想いがふと来て、火の気のない火鉢の傍に半分腰を浮かせながら、うずくまっていると、
「誰方――?」
 ぬっと軒口《かどぐち》から顔を出した者がある。
「よう〆さんか?」
 相変らずでっぷりして、平目のような頬ぶくれした顔は、六年会わぬが、隣家に住んでいる〆団治だと、一眼でわかった。
「なんや、おまはんやったんか。今時分人の家へ留守中にはいって、何やらごそごそしてるさかい、こらてっきり泥的やと思たがな……」
 前座ばかり勤めているが、さすがに落語家で、〆団治のものの言い方は高座の調子がまじっていて、他吉は大阪へ帰って来たという想いが強く来た。
「――しかし、他あさん、よう帰って来たな。いったいいつ帰って来てん? 言や言うもんの、お前、もう足掛け六年やで」
「いま帰ったとこや」
 他吉はちょっと固垂をのみ、
「――ところで、皆どこイ行きよってんやろ。影も形も見えんがな」
 夜逃げでもしたのではないかという顔で、訊くと、
「声はすれども、姿は見えぬ、ほんにお前は屁のような……」
 〆団治はうたうように言って、
「――今日はお午《うま》の夜店やさかい、そこイ行ったはんネやろ」
「さよか。――」
 他吉はああ、よかったと、ほっとしたが、急に唇をとがらせて、
「このくそ寒いのに、夜店みたいなもん、見に行かんでもええのに……。子供が風邪ひいたらどないすんねん。ほんまに、うちのかか[#「かか」に傍点]はど阿呆[#「ど阿呆」に傍点]やぜ」
 そう言うと、〆団治は、なにを莫迦なこと言うてんねん、他あやんよう聴きやと、一喋り喋る弾んだ口つきになって、
「お鶴はんが、何の夜店見物に行くひとかいな。お鶴はんはな、お初つぁん[#底本では「お初っあん」となっている]と一緒に夜店へ七味《なないろ》唐辛子を売りに行ったはるねんぜ」
「えっ? ほな、なにか。夜店出ししとんのんか」
 他吉は毛虫を噛んだような顔をした。
「さいな。おまはんがヘリピンとかルソンとか行ったはええとして、ちっとも金は送っては来んし……」
「送ったぜ」
「はじめの二三年やろ? あとはお前鐚一文送って来ん、あとに残った二人がどないして食べて行けるねん? 夜店出しなとせんと、餓死してしまうやないか。ほんにお前は薄情な亭主やぜ。お鶴はんは築港に
前へ 次へ
全98ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング