加へてゐると、見られないこともないであらう。
 然もこれに対して仏教は、所謂生を否定するに際しても、唯素樸に単純に否定してゐるのではなく、先づ否定し次に否定したのを再び否定し、また次に再び否定したものを三度目に否定し、かくして無限の否定を重ねて行き乍ら否定するのである。されば、斯うした方法に於ける否定は或る意味に於て、一種の肯定であるとも言へなくはない。勿論、それは単純素樸な肯定にはなり得ないけれども否定を否定することに依つての肯定を、無限に持続して行くものだと見れば、茲に仏教特有の不可思議な、甚だ手の込んだ生の肯定が自らにして否定の深淵の底から、水沫の如く浮き上つて来るやうにも思へるではないか。
 そして斯の如く見て来れば、大乗仏教に於ける私の所謂、否定的肯定若しくは肯定的否定の態度は、その表現の外観如何に関係無く唯本質と本質との比較から見た場合、彼のニイチエ等の所謂「大いなる生の肯定」と、余りに違つたものでないのみならず、むしろ可なりに相近いものを有つてゐるやうにさへ思はれて来るではないか。
 改めて言ふ迄も無く、所謂大乗的な仏教も、釈尊入滅後数世紀乃至十数世紀の間に釈尊の郷土であるところの印度に於て、次々に現はれてゐる。そして、其れ等のものはこれが印度に出現したと略同じ順序に於て余り間を置かずして、また次々に支那へは入つて来てゐる。
 併し乍ら、印度及び支那に於ける此等の大乗仏教は忌憚なく言へば、単に宗教学的な秀抜な天分を有つた学者等の経、論、釈等として単なる理論学説として、謂はゞ単なる哲学としてのみ存在してゐたに過ぎない観がある。
 そしてそれ等の単なる哲学が再び哲学以上のものとなり、所謂思想に於ても生活に於ても、仏陀の真精神を我々に頒ち与へるものとして現はれ来つたのは、これが我が日本へ渡来してから後のこと、より詳しくは大凡そ鎌倉期に入つて、道元、明恵、法然、親鸞、日蓮の如き他の民族の歴史にあつては、千年二千年の間に唯一人の出現を期待することすら容易でない程の、夫々に全く釈尊其人の御再来かとも思はれる程の、あの崇高偉大な宗教的人格が相次いで降臨されるに至つてから後のことでなければならぬ。
 ところで、斯の如く大乗的仏教が我が日本へ渡つて来てからそれは単に哲学から宗教にまで自らを広くし、且高くした丈けではない。かの思想の単なる哲学から宗教になつたことの変化は同
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