の店で、大きな瓢箪《ひょうたん》や橋弁慶《はしべんけい》なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤《くじ》を引かせて、当ったものにそれを遣《や》るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰《つま》らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時《いつ》も取ったことがなく落胆《らくたん》したものだった。
 物売りの部へ入れるのは妙だが、神田橋本町の願人坊主《がんにんぼうず》にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰《もら》うという事はなく、皆何か芸をしたものだけに、その時々には様々な異ったものが飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て謎解き、または袋の中からいろいろな一文《いちもん》人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うのは普通だったが、中には親孝行で御座《ござ》いといって、張子の人形を息子に見立てて、胸へ縛《しば》り付け、自分が負《お》ぶさった格好をして銭を貰うもの――これは評判が好くて長続きした。半身肌脱ぎになって首から上へ真白に白粉を塗って、銭湯の柘榴口《ざくろぐち》に見立てた板に、柄のついたのを前に立て、中でお湯を使ったり、子供の人形を洗ってやったりするところを見せたものなぞがあったものである。

       三

 私の生れた馬喰町《ばくろちょう》の一丁目から四丁目までの道の両側は、夜になるといつも夜店が一杯に並んだものだった。その頃は幕府|瓦解《がかい》の頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人《ごけにん》が、一時に微禄《びろく》して生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり、従って芝居なぞも火の消えたようなので、役者の中にはこれも困って夜店を出す者がある位で、実に賑《にぎ》やかなものだったが、それらの夜店商人が使う蝋燭《ろうそく》は、主に柳橋の薩摩《さつま》蝋燭といって、今でも安いものを駄蝋《だろう》という位、酷《ひど》いものだが、それを売りに来る男で歌吉というのがあった。これがまた、天性の美音で「蝋燭で御座いかな」と踊るような身ぶりをして売って歩いたが、馬喰町の夜店が寂《さび》れると同時に、鳥羽絵《とばえ》の升落《ますおと》しの風をして、大きな拵らえ物の鼠を持って、好く往来で芸をして銭を貰っていたのを覚えている。美音で思い出したが、十軒店《じっけんだな》にも治郎公なぞと呼んでいた鮨
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