子骨、六本骨、七本骨などがあって、巻骨は骨へ細い紙を巻いたもので、障子の骨のようになっているので、障子骨の名もある。六本骨七本骨は、普通の骨組みで、即ちX形に組んだ骨が這入《はい》っているのである。そうしてこの巻骨の障子骨は丈夫で良い凧としてある。なお上等の凧は、紙の周囲に糸が這入っているのが例である。
 糸は「いわない」またの名を「きんかん」というのが最もよいとしている。この凧に附随したものは、即ち「雁木《がんぎ》」と「うなり」だが、長崎では「ビードロコマ」といって雁木の代りにビードロの粉を松やに[#「松やに」に傍点]で糸へつけて、それで相手の凧の糸を摺《す》り切るのである。「うなり」は鯨を第一とし、次ぎは籐《とう》であるが、その音がさすがに違うのである。また真鍮《しんちゅう》で造ったものもあったが、値も高いし、重くもあるので廃《すた》ってしまった。今日では「ゴムうなり」が出来たようだ。それからこの「うなり」を、凧よりも長いのを付けると、昔江戸などでは「おいらん」と称《とな》えて田舎式としたものである。
 凧にも随分大きなものがあって、阿波の撫養《むや》町の凧は、美濃紙《みのがみ》千五百枚、岡崎の「わんわん」という凧も、同じく千五百枚を張るのであるという。その他、大代《おおしろ》の「菊一」というのが千四百枚、北浜の「笹」というのが千枚、吉永の「釘抜《くぎぬき》」が九百枚、木津新町の「菊巴」が九百枚の大きさである。
 珍らしいものでは、飛騨に莨《たばこ》の葉を凧にしたものがある。また南洋では袋のような凧を揚《あ》げて、その凧から糸を垂れて水中の魚を釣るという面白い用途もある。朝鮮の凧は五本骨で、真中に大きな丸い穴が空いていて、上に日、下に月が描いてある。真中に大きな穴が空いていてよく揚ると思うが、誠に不思議である。前にいった「すが凧」というのは「すが糸」であげる精巧な小さな凧で、これは今日では飾り凧とされている。これは江戸の頃、秋山正三郎という者がこしらえたもので、上野の広小路で売っていたのである。その頃この広小路のすが凧売りの錦絵《にしきえ》が出来ていたと思った。
 さて私の子供の時分のことを思い出して話して見よう。その頃、男の子の春の遊びというと、玩具《おもちゃ》では纏《まとい》や鳶口《とびぐち》、外の遊びでは竹馬に独楽《こま》などであったが、第一は凧である。電
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