ました。この連中に、英国生れの力持《ちからもち》がいて、一人で大砲のようなものを担《かつ》ぎあげ、毎日ドンドンえらい音を立てたので、一時は観音様の鳩が一羽もいなくなりました。
 それから最後に狸の騒動があった話をしましょう。ただ今の六区辺は淋《さび》しい処で、田だの森だのがありました。それを開いたのは、大橋門蔵という百姓でした。森の木を伐《き》ったり、叢《くさ》を刈ったりしたので、隠れ家を奪われたと見えて、幾匹かの狸が伝法院の院代をしている人の家の縁の下に隠れて、そろそろ持前《もちまえ》の悪戯《わるさ》を始めました。ちょっと申せば、天井から石を投げたり、玄関に置いた下駄を、台所の鍋の中に並べて置いたり、木の葉を座敷に撒《ま》いたり、揚句《あげく》の果には、誰かが木の葉がお金であったらいいといったのを聞いたとかで、観音様の御賽銭《おさいせん》をつかみ出して、それを降らせたりしたので、その騒ぎといったらありませんでした。前に申したスリエの曲馬で大砲をうった男が、よし来たというので、鉄砲をドンドン縁の下に打込む、それでもなお悪戯が止まなかったので、仕方がないから祀《まつ》ってやろうとなって、祠《ほこら》を建てました。これは御狸様といって昔と位置は変っていますが、今でも区役所の傍にあります。
[#地から1字上げ](明治四十五年四月『新小説』第十七年第四巻)
       ◇
 その御狸様のお告げに、ここに祀ってくれた上からは永く浅草寺の火防の神として寺内安泰を計るであろうとのことであったということです。
 今浅草寺ではこのお狸様を鎮護大使者として祀っています。当時私の父椿岳はこの祠堂《しどう》に奉納額をあげましたが、今は遺《のこ》っていないようです。
 毎年三月の中旬に近い日に祭礼を催します。水商売の女性たちの参詣が盛んであるようですが、これは御鎮護様《おちんごさま》をオチンボサマ[#「オチンボサマ」に傍点]に懸けた洒落《しゃれ》参りなのかも知れません。
[#地から1字上げ](大正十四年十一月『聖潮』第二巻第十号より追補)



底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
   1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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