。その後このオムニバスの残骸は、暫《しばら》く本所《ほんじょ》の緑町に横《よこた》わっていたのですが、その後どうなりましたかさっぱり分らなくなってしまいました。これから後に鉄道馬車が通るようになったのです。
釆女ケ原で風船
これは銀座通りとは少し離れていますが、今の精養軒の前は釆女《うねめ》ケ原《はら》でした。俗にこれを海軍原と呼んで海軍省所属の原でしたが、ここで海軍省が初めて風船というものを揚《あ》げました。なにしろ日本で初めてなのですから珍らしくって大した評判で、私などもわざわざ見に行きました。
こんな風に今の銀座|界隈《かいわい》その時分の「煉瓦」辺が、他の場所よりも早く泰西《たいせい》文明に接したというわけは、西洋の文明が先《ま》ず横浜へ入って来る、するとそれは新橋へ運ばれて築地の居留地へ来る。その関係から築地と新橋にほど近い「煉瓦」は自然と他の場所よりもハイカラな所となったのでありましょう。[#地から1字上げ](大正十年十月『銀座』資生堂)
底本:「梵雲庵雑話」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年8月18日第1刷発行
※「釆女ケ原」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2003年2月9日作成
2003年5月11日修正
青空文庫作成ファイル:
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