《ほぼ》世間でも嗅《か》ぎつけていた事実で、これには誰《たれ》も異議がなく、但《ただ》し三人の中《うち》何人《だれ》が遂に梅子|嬢《さん》を連れて東京に帰り得《う》るかと、他所《よそ》ながら指を啣《くわ》えて見物している青年《わかもの》も少くはなかった。
 法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から以西《いせい》、何川辺までの、何町、何村、字《あざ》何の何という処々《しょしょ》の家の、種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。愈々《いよいよ》大津の息子はお梅さんを貰《もら》いに帰ったのだろう、甘《うま》く行けば後《あと》の高山の文《ぶん》さんと長谷川の息子が失望するだろう、何に田舎《いなか》でこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山《やれ》にありますから後の二人だってお梅さんばかり狙《ねら》うてもおらんよ、など厄鬼《やっき》になりて討論する婦人連もあった。
 或日の夕暮、一人の若い品の佳《い》い洋服の紳士が富岡先生の家の前えに停止《たちど》まって、頻《しき》りと内の様子を窺《うかが》ってはもじもじしていたが遂に門を入《はい》って玄関先に突立《つった》って、
「お頼みします」という声さえ少し顫《ふる》えていたらしい。
「誰か来たぞ!」と怒鳴ったのは確《たしか》に先生の声である。
 襖《ふすま》が静《しずか》に開いて現われたのが梅子である。紳士の顔も梅子の顔も一時《いちじ》にさっと紅《こう》をさした。梅子はわずかに会釈して内に入った。
「何だ、大津の定さんが来た?、ずんずんお上りんさいと言え!」先生の太い声がありありと聞えた。
 大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がその昔《かみ》漢学の素読《そどく》を授った室《へや》に通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時も訪《と》うた事はある。
 老漢学者と新法学士との談話《はなし》の模様は大概次の如くであった。
「ヤア大津、帰省《かえ》ったか」
「ともかく法学士に成りました」
「それが何だ、エ?」
「内務省に出る事に決定《きま》りました、江藤さんのお世話で」
「フンそうか、それで目出度《めでた》いというのか。然し江藤さんとは全体誰の事じゃ」
「江藤侯のことで……直文《ちょくぶん》さんのことで」
「ウーン三輔《さんすけ》のことか、そうか、三輔なら三輔と早く言えば可《え》えに。時に三輔
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