は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁《し》む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落としそうである。突然また野に出る。君はその時、
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山は暮れ野は黄昏《たそがれ》の薄《すすき》かな
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の名句を思いだすだろう。
六
今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居《ぐうきょ》を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直《まっすぐ》に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋《かけぢゃや》がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてし
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