黙す。雪しきりに降る。燈をかかげて戸外をうかがう、降雪火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野沈黙す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の音す、はたして風声か」
同十四日[#「同十四日」に白丸傍点]――「今朝大雪、葡萄棚《ぶどうだな》堕《お》ちぬ。
 夜更けぬ。梢をわたる風の音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒《よさむ》の凩《こがらし》なるかな。雪どけの滴声軒をめぐる」
同二十日[#「同二十日」に白丸傍点]――「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱白銀のごとくきらめく。小鳥梢に囀ず。梢頭《しょうとう》針のごとし」
二月八日[#「二月八日」に白丸傍点]――「梅咲きぬ。月ようやく美なり」
三月十三日[#「三月十三日」に白丸傍点]――「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」
同二十一日[#「同二十一日」に白丸傍点]――「夜十一時。屋外の風声をきく、たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁《のが》れし」
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     三

 昔の武蔵野は萱原《かやはら》のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢《なら》の類《たぐ》いで冬はことごとく落葉し、春は滴《したた》るばかりの新緑|萌《も》え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞《かすみ》に雨に月に風に霧に時雨《しぐれ》に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈《てい》するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。自分も西国に人となって少年の時学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで、それも左の文章がおおいに自分を教えたのである。
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「秋九月中旬というころ、一日自分が樺《かば》の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生《な》ま暖かな日かげも射してまことに気まぐれな空合《そらあ》い。あわあわしい白《し》ら雲が空《そ》ら一面に棚
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