《こずえ》で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち林が尽きて君の前に見わたしの広い野が開ける。足元からすこしだらだら下がりになり萱《かや》が一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一|叢《むら》繁り、その林の上に遠い杉の小杜《こもり》が見え、地平線の上に淡々《あわあわ》しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間にすこしずつ見える。十月小春の日の光のどかに照り、小気味よい風がそよそよと吹く。もし萱原のほうへ下《お》りてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。思いがけなく細長い池が萱原と林との間に隠れていたのを発見する。水は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。水のほとりには枯蘆《かれあし》がすこしばかり生えている。この池のほとりの径《みち》をしばらくゆくとまた二つに分かれる。右にゆけば林、左にゆけば坂。君はかならず坂をのぼるだろう。とかく武蔵野を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。見下ろすような眺望はけっしてできない。それは初めからあきらめたがいい。
 もし君、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真中にいる農夫にききたまえ。農夫が四十以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし少女《おとめ》であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃《いんぎん》に問いたまえ。鷹揚《おうよう》に教えてくれるだろう。怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖《くせ》であるから。
 教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然農家の庭先に出るだろう。はたして変だと驚いてはいけぬ。その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。農家の門を外に出てみるとはたして見覚えある往来、なるほどこれが近路《ちかみち》だなと君は思わず微笑をもらす、その時初めて教えてくれた道のありがたさが解《わか》るだろう。
 真直《まっすぐ》な路で両側とも十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出ることがある。
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