った。
騒ぎ疲《くた》ぶれて衆人《みんな》散々《ちりぢり》に我家へと帰り去り、僕は一人桂の宅《うち》に立寄った。黙って二階へ上がってみると、正作は「テーブル」に向かい椅子《いす》に腰をかけて、一心になって何か読んでいる。
僕はまずこの「テーブル」と椅子のことから説明しようと思う。「テーブル」というは粗末な日本机の両脚の下に続台《つぎだい》をした品物で、椅子とは足続《あしつ》ぎの下に箱を置いただけのこと。けれども正作はまじめでこの工夫をしたので、学校の先生が日本流の机は衛生に悪いといった言葉をなるほどと感心してすぐこれだけのことを実行したのである。そしてその後つねにこの椅子テーブルで彼は勉強していたのである。そのテーブルの上には教科書その他の書籍を丁寧《ていねい》に重ね、筆墨《ひつぼく》の類までけっして乱雑に置いてはない。で彼は日曜のいい天気なるにもかかわらず何の本か、脇目《わきめ》もふらないで読んでいるので、僕はそのそばに行って、
「何を読んでいるのだ」といいながら見ると、洋綴《ようとじ》の厚い本である。
「西国立志編《さいこくりっしへん》だ」と答えて顔を上げ、僕を見たその眼《まな》ざしはまだ夢の醒《さ》めない人のようで、心はなお書籍の中にあるらしい。
「おもしろいかね?」
「ウン、おもしろい」
「日本外史《にほんがいし》とどっちがおもしろい」と僕が問うや、桂は微笑《わらい》を含んで、ようやく我に復《かえ》り、いつもの元気のよい声で
「それやアこのほうがおもしろいよ。日本外史とは物が異《ちが》う。昨夜《ゆうべ》僕は梅田先生の処から借りてきてから読みはじめたけれどおもしろうて止められない。僕はどうしても一冊《いっさつ》買うのだ」といって嬉《うれ》しくってたまらない風であった。
その後桂はついに西国立志編を一冊買い求めたが、その本というは粗末至極な洋綴で、一度読みおわらないうちにすでにバラバラになりそうな代物《しろもの》ゆえ、彼はこれを丈夫《じょうぶ》な麻糸で綴じなおした。
この時が僕も桂も数え年の十四歳。桂は一度西国立志編の美味《うまみ》を知って以後は、何度この書を読んだかしれない、ほとんど暗誦するほど熟読したらしい、そして今日といえどもつねにこれを座右《ざゆう》に置いている。
げに桂正作は活《い》きた西国立志編といってよかろう、桂自身でもそういっている。
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング