の二老人は三十歳前後のころ、ある役所で一年余り同僚であったばかりでなく、石井の親類が河田の親類の親類とかで、石井一|家《け》では河田翁のうわさは時おり出て、『今何をしているだろう』『ほんとにあんな気の毒な人はない』など言われていたのである。
「しかし遊んでもいなさらんだろうが。」と石井翁はどこまでも心配そうに聞く。
「イヤとてもお話にもなんにも……」
これが河田翁持ち前の一つで、人に対すると言いたいことも言えなくなり、つまらんところに自分を卑下してしまうのである。
「あなたがわたしの家《うち》へ来てからもう五年になるなア」と石井翁は以前の事を思い出した。
「そうなりますかね、早いものだ……。」
「あの時、あなたが、一杯きげんで『雨の夜《よ》に日本近《にっぽんぢか》くねぼけて流れこむ』をうたって踊った時はおもしろかったがね、ハ、ハヽヽヽヽ」
「ハヽヽ」といっしょに笑ったぎり、河田翁は何も言わない。そしてなんとなくそわそわ[#「そわそわ」に傍点]している。
三十の年に恩人の無理じいに屈して、養子に行き、養子先の娘の半気違いに辛抱しきれず、ついに敬太郎という男の子を連れて飛びだしてしまい、その子は姉に預けて育ててもらう、それ以後は決して妻帯せず、純然たるひとり者で、とうとう六十余歳まで通して来たのが河田翁の一生である。
このひとり者が翁の不遇の原因をなしたのか、不遇がひとり者の原因であったのか、これをわかつことはできない。
善人で、酒もしいては飲まず、これという道楽もなく、出入交際の人々には義理を堅くしていて、そしてついに不遇で、いつもまごまごして安定の所を得ず今日《きょう》が日《ひ》に及んだ翁の運命は、不思議な事としか思えない。
そこで石井の人々初め翁を知っている者はみな『気の毒な人だ』と言い、また不思議なことだと評している。しかし皆々言い合わしたように一致している『理由』がないのでもない。第一、河田さんはいくじがない。その証拠には、養子に行く前に深く言いかわした女があった、いよいよ養子に行くときまるや五円で帯の片側を買って、それを手切れ同様に泣く泣く別れた。第二に、案外片意地で高慢なところがあって、些細《ささい》な事に腹を立てすぐ衝突して職業から離れてしまう。第三に、妙に遠慮深いところがあること。
なるほどそう聞かされると翁の知人どものいわゆる『理由』は多少の『理由』を成している。
けれど大なる理由がまだなければならぬ。人がもし壮年の時から老人の時まで、純然たる独身生活すなわち親子兄弟の関係からも離れてただ一人、今の社会に住むなら並み大抵の人は河田翁と同様の運命に陥りはせまいか、老いてますます富みかつ栄えるものだろうか。
翁の子敬太郎は翁とまるきり無関係で育ちかつ世に立った。そして二十五六のころ、八百屋《やおや》を始めたが、まもなくよして、売卜者《うらないしゃ》になった。かつ今は行《ゆ》き方《がた》も知れない。そして見ると河田翁その人の脈※[#「月+各」、第3水準1−90−45]《みゃくらく》には、『放浪』の血が流れているのではないか。それが敬太郎へも流れこんだのではないか。
石井翁はむろんこういうことを考えて研究もせず、ただ気の毒がる仲間の一人ゆえ、どうにかして今の境遇も聞いてみたいと思い、古い事まで話題にしてみたが、河田翁は少しも引き立たない。ただそわそわ[#「そわそわ」に傍点]している。
「何時でしょうか」と河田翁は卒然聞いた。石井翁は帯の間から銀時計の大きいのを出して見て、
「三時半です」
「イヤそれじゃもう行かなきゃならん。」と河田翁は口早に言って、急に声を潜め、あたりをきょろきょろ見回しながら、
「実はわたし、このごろある婦人会の集金係をしているのですから、毎日毎日東京じゅうをへめぐらされるので、この年ではとてもやり[#「やり」に傍点]切れなくなりました、そこでも少し楽な仕事をと頼んで歩きましたら、やっとうまい口が発見《めっか》ったんです。それは食扶持《くいぶち》いっさいむこう持ちで月給が七円だというのです、それでからだを動かすことはあまりないというんですから、さっそくそれに決めたのです。ところが、」とあたりを見回した上にさらに延び上がって近所を見回したが、一段声を潜めて「わたしは大変なことをしているんだ、とかく足らん足らんで一円二円とつかい込み、とうとう十五円ほど会の集金をつかい込んでしまったのです。サアそれもチャンと返して帳簿を整理しておかんと今のうまい口に行く事ができない。そこでこの四五日その十五円の調達にずいぶん駆け回りましたよ。やっと三十間堀《さんじっけんぼり》の野口という旧友の倅《せがれ》が、返済の道さえ立てば貸してやろうという事になり、きょう四時から五時までの間に先方で会うことになっているのです。まアザッとこんな苦しいわけで……けれどつかい込みの一件は、ごく内密にお願いします」と言って立ち上がり、石井翁が何も言い得ぬうちに、河田翁は辞儀をペコペコして去ってしまった。
石井翁は取り残されて茫然《ぼうぜん》と河田翁の後ろ姿を見送っていた。
河田翁が延び上がって遠くまで見回したのは巡査がこわかったのだ。そこで翁と巡査とすれ違った時に、河田翁は急に帽子に手をかけて礼をした。石井翁は見ていてその意味がわからなかった。[#地から2字上げ](完)
底本:「号外・少年の悲哀 他六篇」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年4月17日 第1刷発行
1960(昭和35)年1月25日 第14刷改版発行
1981(昭和56)年4月10日 第34刷発行
入力:紅 邪鬼
校正:鈴木厚司
2000年7月12日公開
2004年6月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング