い影の下をくぐり、徳二郎は舟を薄暗い石段のもとに着けた。
「お上がりなさい」と徳は僕を促した。堤の下で「お乗りなさい」と言ったぎり、彼は舟中《しゅうちゅう》僕に一語を交じえなかったから、僕はなんのために徳二郎がここに自分を伴のうたのか少しもわからない、しかし言うままに舟を出た。
もやいをつなぐや、徳二郎も続いて石段に上がり、先に立ってずんずん登って行く、そのあとから僕も無言でついて登った。石段はその幅半間より狭く、両側は高い壁である。石段を登りつめると、ある家の中庭らしい所へ出た。四方板べいで囲まれ、すみに用水おけが置いてある、板べいの一方は見越しに夏みかんの木らしく暗く茂ったのがその頂を出している、月の光はくっきりと地に印して寂《せき》として人のけはいもない。徳二郎はちょっと立ち止まって聞き耳を立てたようであったが、つかつかと右なるほうの板べいに近づいて向こうへ押すと、ここはくぐりになっていて、黒い戸が音もなくあいた。見ると、戸にすぐ接して梯子段《はしごだん》がある。戸があくと同時に、足音静かに梯子段《はしごだん》をおりて来て、
「徳さんかえ?」と顔をのぞいたのは若い女であった。
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