だ》てて大先生のようにいいふらし、ついに私もその弟子分になったのでございます。けれども元大先生からして自己流ですから弟子も皆な自己流で、ただむやみと吹くばかり、そのうち手が慣れて来れば、やれ誰が巧いとか拙《まず》いとかてんでに評判をし合って皆なで天狗《てんぐ》になったのでございます。私の性質《うまれつき》でありましょうか、私だけは若い者の中でも別段に凝《こ》り固まり、間《ま》がな隙《すき》がな、尺八を手にして、それを吹いてさえいれば欲も得もなく、朝早く日の昇《のぼ》らぬうちに裏の山に上がって、岩に腰をかけて暁の霧を浴びながら吹いていますと、私の尺八の音でもって朝霧が晴れ、私の転《まろ》ばす音につれて日がだんだん昇るようにまで思ったこともあったのでございます。
 それですから自然と若い者の中でも私が一番巧いということになり、老先生までがほんとに稽古すれば日本一の名人になるなどとそそのかしたものです。そのうち十九になりました。ちょうど春の初めのことでございます。日の暮方で、私はいつもの通り、尺八を持って村の小川の岸に腰をかけて、独り吹き澄ましていますと、後から『修蔵様』と呼ぶものがあります
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