出来るかと、それのみに心を奪《と》られて歩いた。志村も同じ心、後《あと》になり先になり、二人で歩いていると、時々は路傍に腰を下ろして鉛筆の写生を試み、彼が起《た》たずば我も起たず、我筆をやめずんば彼もやめないという風で、思わず時が経《た》ち、驚ろいて二人とも、次の一里を駆足《かけあし》で飛んだこともあった。
爾来《じらい》数年《すねん》、志村は故《ゆえ》ありて中学校を退いて村落に帰り、自分は国を去って東京に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、忽《たちま》ちまた四、五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家の名作を見て、僅《わずか》に自分の画心《えごころ》を満足さしていたのである。
ところが自分の二十の時であった、久しぶりで故郷の村落に帰った。宅の物置にかつて自分が持《もち》あるいた画板があったのを見つけ、同時に志村のことを思いだしたので、早速人に聞いて見ると、驚くまいことか、彼は十七の歳《とし》病死したとのことである。
自分は久しぶりで画板と鉛筆を提《ひっさ》げて家を出た。故郷の風景は旧《もと》の通りである、しかし自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳《いくつ》かの年を増《ま》したばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心には全く趣を変えていたのである。言いがたき暗愁は暫時《しばらく》も自分を安めない。
時は夏の最中《もなか》自分はただ画板を提げたというばかり、何を書いて見る気にもならん、独《ひと》りぶらぶらと野末に出た。かつて志村と共に能《よ》く写生に出た野末に。
闇《やみ》にも歓《よろこ》びあり、光にも悲《かなしみ》あり、麦藁帽《むぎわらぼう》の廂《ひさし》を傾けて、彼方《かなた》の丘、此方《こなた》の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩《まば》ゆきばかりの景色。自分は思わず泣いた。
底本:「日本児童文学名作集(上)」桑原三郎・千葉俊二編、岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年2月16日第1刷発行
底本の親本:「国木田独歩全集 2」学習研究社
1964(昭和39)年7月1日初版発行
初出:「青年界」第一巻第二号
1902(明治35)年8月1日発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年5月28日公開
2004年7月8日修正
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