』となおも少年《こども》の横顔を見ていたが、画《え》だ、まるで画であった! この二人《ふたり》のさまは。
川柳は日の光にその長い青葉をきらめかして、風のそよぐごとに黒い影と入り乱れている。その冷ややかな陰の水際《みぎわ》に一人の丸く肥《ふと》ッた少年《こども》が釣りを垂《た》れて深い清い淵《ふち》の水面を余念なく見ている、その少年《こども》を少し隔《はな》れて柳の株に腰かけて、一人の旅人、零落と疲労をその衣服《きもの》と容貌《かお》に示し、夢みるごときまなざしをして少年《こども》をながめている。小川の水上《みなかみ》の柳の上を遠く城山《じょうざん》の石垣《いしがき》のくずれたのが見える。秋の初めで、空気は十分に澄んでいる、日の光は十分に鮮やかである。画だ! 意味の深い画である。
豊吉の目は涙にあふれて来た。瞬《またた》きをしてのみ込んだ時、かれは思わはずその涙をはふり落とした。そして何ともいえない懐《ゆか》しさを感じて、『ここだ、おれの生まれたのはここだ、おれの死ぬのもここだ、ああうれしいうれしい、安心した』という心持ちが心の底からわいて来て、何となく、今までの長い間の辛苦|艱難《かんなん》が皮のむけたように自分を離れた心地がした。
『お前のおとっさんの名はなんていうかね』と豊吉は親しげに少年《こども》に近づいた。
少年《こども》は目を丸くして豊吉を見た。豊吉はなおも親しげに、
『貫一《かんいち》というだろう?』
少年《こども》は驚いて豊吉の顔をじっと見つめた。豊吉は少し笑いを含んで、
『貫一さんは丈夫《たっしゃ》かね。』
『達者《たっしゃ》だ。』
『それで安心しました、ああそれで安心しました。お前は豊吉という叔父さんのことをおとっさんから聞いたことがあろう。』
少年《こども》はびっくりして立ちあがった。
『お前の名は?』
『源造《げんぞう》。』
『源造、おれはお前の叔父さんだ、豊吉だ。』
少年《こども》は顔色を変えて竿《さお》を投げ捨てた。そして何も言わず、士族屋敷の方へといっさんに駆けていった。
ほかの少年《こども》らも驚いて、豊吉を怪しそうに見て、急に糸を巻くやら籠《かご》を上げるやら、こそこそと逃げていってしまった。
豊吉はあきれ返って、ぼんやり立って、少年《こども》らの駆けて行く後ろ影を見送った。
『上田の豊さんが帰ったそうだ』と彼を記憶しうわさしていた人々はみんなびっくりした。
豊吉|二十《はたち》のころの知人みな四十五十の中老《ちゅうろう》になって、子供もあれば、中には孫もある、その人々が続々と見舞にくる、ことに女の人、昔美しかった乙女《おとめ》の今はお婆《ばあ》さんの連中が、また続々と見舞に来る。
人々は驚いた、豊吉のあまりに老いぼれたのに。人々は祝った、その無事であッたを。人々は気の毒に思った、何事もなし得ないで零落《おちぶ》れて帰ったのを。そして笑った、そして泣いた、そして言葉を尽くして慰めた。
ああ故郷《ふるさと》! 豊吉は二十年の間、一日も忘れたことはなかった、一時の成功にも一時の失敗にも。そして今、全然失敗して帰ッて来た、しかしかくまでに人々がわれに優しいこととは思わなかった。
彼は驚いた、兄をはじめ人々のあまりに優しいのに。そして泣いた、ただ何とはなしにうれしく悲しくって。そしてがっかり[#「がっかり」に傍点]して急に年を取ッた。そして希望なき零落の海から、希望なき安心の島にと漂着した。
かれの兄はこの不幸なる漂流者を心を尽くして介抱した。その子供らはこの人のよい叔父にすっかり、懐《なつ》いてしまった。兄貫一の子は三人あって、お花というが十五歳で、その次が前《さき》の源造、末が勇《いさむ》という七歳《ななつ》のかあいい児《こ》である。
お花は叔父を慰め、源造は叔父さんと遊び、勇は叔父さんにあまえた。豊吉はお花が土蔵《くら》の前の石段に腰掛けて唱《うた》う唱歌をききながら茶室《はなれ》の窓に倚《よ》りかかって居眠り、源造に誘われて釣りに出かけて居眠りながら釣り、勇の馬になッて、のそのそと座敷をはいまわり、馬の嘶《な》き声を所望《しょもう》されて、牛の鳴くまねと間違えて勇に怒《おこ》られ、家《うち》じゅうを笑わせた。
かかる際《ひま》にお花と源造に漢書の素読《そどく》、数学英語の初歩などを授けたが源因《もと》となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年《こども》を集めて私塾《しじゅく》のようなものでも開いたら、自分のためにも他人《ひと》のためにもなるだろうとの説が人々の間に起こって、兄も無論賛成してこの事を豊吉に勧めてみた。
豊吉は同意した。そして心ひそかに歓《よろこ》んだ、その理由《わけ》は、かれ初めより無事に日を送ることをよろこばなかった、のみならずついに何事をもなさず何をしでかすることなく一生|空《むな》しく他《ひと》の厄介で終わるということは彼にとって多少の苦痛であった。
希望なき安心の遅鈍なる生活もいつしか一月ばかり経《た》って、豊吉はお花の唱歌を聞きながら、居眠ってばかりいない、秋の夕空晴れて星の光も鮮《あざ》やかなる時、お花に伴われてかの小川の辺《ほとり》など散歩し、お花が声低く節《ふし》哀れに唱うを聞けばその沈みはてし心かすかに躍りて、その昔、失敗しながらも煩悶《はんもん》しながらもある仕事を企ててそれに力を尽くした日の方が、今の安息無事よりも願わしいように感じた。
かれは思った、他郷《よそ》に出て失敗したのはあながちかれの罪ばかりでない、実にまた他郷の人の薄情《つれな》きにもよるのである、さればもしこのような親切な故郷の人々の間にいて、事を企てなば、必ず多少の成功はあるべく、以前のような形《かた》なしの失敗はあるまいと。
かれは自分を知らなかった。自分の影がどんなに薄いかを知らなかった。そして喜んで私塾設立の儀を承諾した、さなきだにかれは自分で何らの仕事をか企てんとしていて言い出しにくく思っていたところであるから。
「杉の杜《もり》の髯《ひげ》」の予言のあたったのはここまでである。さてこの以後が「髯」の予言しのこした豊吉の運命である。
月のよくさえた夜の十時ごろであった。大川が急に折れて城山《じょうざん》の麓《ふもと》をめぐる、その崖《がけ》の上を豊吉|独《ひと》り、おのが影を追いながら小さな藪路《やぶみち》をのぼりて行く。
藪の小路《こみち》を出ると墓地がある。古墳累々と崖の小高いところに並んで、月の光を受けて白く見える。豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いところにまた数十の墓が並んでいる、その中のごく小さな墓――小松の根にある――の前に豊吉は立ち止まった。
この墓が七年前に死んだ「並木善兵衛之墓」である、「杉の杜の髯」の安眠所である。
この日、兄の貫一その他の人々は私塾設立の着手に取りかかり、片山という家《うち》の道場を借りて教場にあてる事にした。この道場というは四|間《けん》と五間の板間《いたのま》で、その以前豊吉も小学校から帰り路、この家の少年《こども》を餓鬼大将として荒《あば》れ回ったところである。さらに維新前はお面《めん》お籠手《こて》の真《まこと》の道場であった。
人々は非常に奔走して、二十人の生徒に用いられるだけの机と腰掛けとを集めた、あるいは役場の物置より、あるいは小学校の倉の隅《すみ》より、半ば壊《こわ》れて用に立ちそうにないものをそれぞれ繕ってともかく、間に合わした。
明日は開校式を行なうはずで、豊吉自らも色んな準備をして、演説の草稿まで作った。岩――の士族屋敷もこの日はそのために多少の談話と笑声《しょうせい》とを増し、日常《ひごろ》さびしい杉の杜《もり》付近までが何となく平時《ふだん》と異《ちが》っていた。
お花は叔父のために『君が代』を唱うことに定まり、源造は叔父さんが先生になるというので学校に行ってもこの二、三|日《ち》は鼻が高い。勇は何で皆が騒ぐのか少しも知らない。
そこでその夜《よ》、豊吉は片山の道場へ明日の準備のしのこり[#「しのこり」に傍点]をかたづけにいって、帰路、突然方向を変えて大川の辺《ほとり》へ出たのであった。「髯」の墓に豊吉は腰をかけて月を仰いだ。「髯」は今の豊吉を知らない、豊吉は昔の「髯」の予言を知らない。
豊吉は大川の流れを見|下《お》ろしてわが故郷《ふるさと》の景色をしばし見とれていた、しばらくしてほっと嘆息《ためいき》をした、さもさもがっかり[#「がっかり」に傍点]したらしく。
実にそうである、豊吉の精根は枯れていたのである。かれは今、堪《た》ゆべからざる疲労を感じた。私塾の設立! かれはこの言葉のうち、何らの弾力あるものを感じなくなった。
山河月色《さんかげっしょく》、昔のままである。昔の知人の幾人《いくたり》かはこの墓地に眠っている。豊吉はこの時つくづくわが生涯の流れももはや限りなき大海《だいかい》近く流れ来たのを感じた。われとわが亡友《なきとも》との間、半透明の膜一重《まくひとえ》なるを感じた。
そうでない、ただかれは疲れはてた。一杯の水を求めるほどの気もなくなった。
豊吉は静かに立ち上がって河の岸に下りた。そして水の潯《ほとり》をとぼとぼとたどって河下《かわしも》の方へと歩いた。
月はさえにさえている。城山《じょうざん》は真っ黒な影を河に映している。澱《よど》んで流るる辺《あた》りは鏡のごとく、瀬をなして流るるところは月光砕けてぎらぎら輝《ひか》っている。豊吉は夢心地になってしきりに流れを下った。
河舟《かわぶね》の小さなのが岸に繋《つな》いであった。豊吉はこれに飛び乗るや、纜《ともづな》を解いて、棹《みざお》を立てた。昔の河遊びの手練《しゅれん》がまだのこっていて、船はするすると河心《かしん》に出た。
遠く河すそをながむれば、月の色の隈《くま》なきにつれて、河霧夢のごとく淡く水面に浮かんでいる。豊吉はこれを望んで棹《みざお》を振るった。船いよいよ下れば河霧次第に遠ざかって行く。流れの末は間もなく海である。
豊吉はついに再び岩――に帰って来なかった。もっとも悲しんだものはお花と源造であった。
[#地から2字上げ](明治三十一年八月作)
底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
1901(明治34)年3月
初出:「国民之友」
1898(明治31)年8月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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