は激昂《げっこう》して突っ立った。
「一筆《ひとふで》示し上げ参らせ候《そろ》大同口《だいどうこう》よりのお手紙ただいま到着仕り候|母様《ははさん》大へん御《おん》よろこび涙を流してくり返しくり返しご覧相成り候」
 何だつまらない! と一人の水兵が笑いだした。水野はかまわず、ズンズン読む、その声は震えていた。
「ついてはご自身で返事書きたき由仰せられ候まま御枕《おんまくら》もとへ筆墨《ふですみ》の用意いたし候ところ永々《ながなが》のご病気ゆえ気のみはあせりたまえどもお手が利《き》き候わず情けなき事よと御《おん》嘆きありせめては代筆せよと仰せられ候間お言葉どおりを一々に書き取り申し候
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 必ず必ず未練のことあるべからず候
 母が身ももはやながくはあるまじく今日《きょう》明日《あす》を定め難き命に候えば今申すことをば今生《こんじょう》の遺言《いごん》とも心得て深く心にきざみ置かれたく候そなたが父は順逆の道を誤りたまいて前原が一味に加わり候ものから今だにわれらさえ肩身の狭き心地《ここち》いたし候この度《たび》こそそなたは父にも兄にもかわりて大君《おおぎみ》の御為《おんため》国の為勇ましく戦い、命に代えて父の罪を償いわが祖先の名を高め候わんことを返すがえすも頼み上げ候
 せめて士官ならばとの今日のお手紙の文句は未練に候ぞ大将とて兵卒とて大君の為国の為に捧《ささ》げ候命に二はこれなく候かかる心得にては真《まこと》の忠義思いもよらず候兄はそなたが上をうらやみせめて軍夫《ぐんぷ》に加わりてもと明け暮れ申しおり候ここをくみ候わば一兵士《いっぺいし》ながらもそなたの幸いはいかばかりならんまた申すまでもなけれど上長の命令を堅く守り同列の方々とは親しく交わり艱難《かんなん》を互いにたすけ合い心を一にして大君の御為|御《おん》励みのほどひとえに祈り上げ候
以上は母が今わの際《きわ》の遺言と心得候て必ず必ず女々《めめ》しき挙動《ふるまい》あるべからず候
なお細々《こまこま》のことは嫂《あによめ》かき添え申すべく候
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右|認《したた》め候て後母様の仰せにて仏壇に燈《ともしび》ささげ候えば私《わたくし》が手に扶《たす》けられて母様は床の上にすわりたまいこの遺言父の霊にも告げてはと読み上げたもう御《おん》声悲しく一句読みては涙ぬぐい一句読みてはむせびたもう御《おん》ありさまの痛ましさ……」
 水野が堪《こら》え堪えし涙ここに至りて玉のごとく手紙の上に落ちたのを見て、聴《き》く方でもじっと怺《こら》えていたのが、あだかも電気に打たれたかのように、一斉に飛び立ったが感|極《きわ》まってだれも一語を発し得ない。一種言うべからざるすさまじさがこの一区画に充《み》ちた。
 水野君万歳! と真っ先に叫んだのがかの酒癖水兵である。かれは狂気のごとくその大杯を振りまわした。この時自分の口を衝《つ》いて出た叫声《きょうせい》は、
 天皇陛下万歳!



底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「太平洋」
   1900(明治33)年8月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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