っけに取られていますと、駆けこんで来たのが四郎という十五になるこの家《うち》の子です。
「鸚鵡《おうむ》をくださいって」と、かごを取って去ってしまいました。この四郎さんは私と仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁《がん》をつる約束がしてあったのです、ところがその晩、おッ母《か》アと樋口は某坂《なにざか》の町に買い物があるとて出てゆき、政法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は祈祷会《きとうかい》にゆき、家に残ったのは、下女代わりに来ている親類の娘と、四郎と私だけで、すこぶるさびしくなりましたから、雁つりの実行に取りかかりました。
かねて四郎と二人で用意しておいた――すなわち田溝《たみぞ》で捕えておいたどじょうを鉤《はり》につけて、家を西へ出るとすぐある田のここかしこにまきました。田はその昔、ある大名の下屋敷《しもやしき》の池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山《つきやま》らしいのがいくつか凸起《とっき》しているので、雁にはよき隠れ場であるので、そのころ毎晩のように一群れの雁がおりたものです。
恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆるがごとき功名の心にむちうち、学問する身にてありながら、私はまだ、ほんのこどもでしたから、こういういたずらも四郎と同じ心のおもしろさを持っていたのです。
十幾本の鉤《はり》を凧糸《たこいと》につけて、その根を一本にまとめて、これを栗《くり》の木の幹に結び、これでよしと、四郎と二人が思わず星影寒き大空の一方を望んだ時の心持ちはいつまでも忘れる事ができません。
もちろん雁のつれるわけがないので、その後二晩ばかりやってみましたが、人々に笑われるばかり、四郎も私も断念しました。悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病《せきずいびょう》にかかって、不具《かたわ》同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むのはこの類の事です、そして私は「縁が薄い」という言葉の悲哀を、つくづく身に感じます。
ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に会いました。もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、あまり親しく往来はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの学友気質で、無遠慮な口をきき合うのです。この日も鷹見は、帰路にぜひ寄れと勧めますから、上田とともに三人連れ立って行って、夫人のお手料理としては少し上等すぎる馳走《ちそう》になって、酒も飲んで「あの時分」が始まりましたが、鷹見はもとの快活な調子で、
「時に樋口《ひぐち》という男はどうしたろう」と話が鸚鵡《おうむ》の一件になりました。
「どうなるものかね、いなかにくすぼっているか、それとも死んだかも知れない、長生きをしそうもない男であった。」と法律の上田は、やはりもとのごとくきびしいことを言います。
「かあいそうなことを言う、しかし実際あの男は、どことなく影が薄いような人であったね、窪田《くぼた》君。」
と鷹見の言葉のごとく、私も同意せざるを得ないのです。口数をあまりきかない、顔色の生白《なまじろ》い、額の狭い小づくりな、年は二十一か二の青年《わかもの》を思い出しますと、どうもその身の周囲に生き生きした色がありません、灰色の霧が包んでいるように思われます。
「けれども艶福《えんぷく》の点において、われわれは樋口に遠く及ばなかった」と、上田は冷ややかに笑います、鷹見は、
「イヤ、あんな男に限って、女にかあいがられるものサ、女の言いなりほうだいになっていて、それでやはり男だから、チョイと突《つ》っ張《ぱ》ってみる、いわゆる張りだね、女はそういうふうな男を勝手にしたり、また勝手にされてみたりすると、夢中になるものだ。だから見たまえ、あの五十|面《づら》のばあさんが、まるで恥も外聞も忘れていたじゃあないか。鸚鵡《おうむ》の持ち主はどんな女だか知らないがきっと、海山千年の女郎だろうと僕は鑑定する。」
「まアそんな事だろう、なにしろ後家ばあさん、大いに通《つう》をきかしたつもりで樋口《ひぐち》を遊ばしたからおもしろい、鷹見君のいわゆる、あれが勝手にされてみたのだろうが、鸚鵡まで持ちこまれて、『お玉さん樋口さん』の掛合《かけあい》まで聞かされたものだから、かあいそうに、ばあさんすっかりもてあましてしまって、樋口のいない留守に鸚鵡を逃がしたもんだ、窪田君、あの滑稽《こっけい》を覚えているかえ。」
私はうなずきました、樋口が鸚鵡を持ちこんだ日から二日目か三日目です、今では上田も鷹見もばあさんと言っています、かの時分のおッ母《か
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国木田 独歩 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング