低声に唄うて暗《あん》に死をとどむる如く誡《いまし》め行く職人もあり。老婆などはわざわざ立かえりて、「お前さんそこにそうよっかかって居ては危のうございますよ、危ないことをするものではありませんよ」と諄々《じゅんじゅん》と諭《さと》さるる深切《しんせつ》。さては我をこの橋上より身を投ずる者と思いてかくねんごろには言わるるよと心付きて恥《はず》かしく、人の来るを見れば歩きてその疑いを避くるこの心遣い出来てより、涼しさ元のごとくならず。されどこの清風明月の間にしばらくなりと居た者が活版所へ戻りて半夜なりとて明かさるべきにあらねば、次第に更けて人の通りの少なくなるを心待にして西へ東へと行きかえるうち、巡行の巡査の見咎むるところとなり、「御身は何の所用ありてこの橋上を徘徊さるるぞ」と問われたり。予もこの頃は巡査に訊問さるるは何にかかわらず不快に感ずる頃なれば、「イヤ所用なければこそこの橋上を徘徊致すなれ」と、天晴よき返答と思いて答えたり。巡査は予の面を一種の眼光をもって打眺め、「そも御身は何処の者にて姓名は何と言わるる」と言い言いなお身体容貌を眺め下したり。「何のために宿所姓名を問いたもうか、通り少きこの橋上月をながめ涼みを取るもあながち往来の邪魔にはなるまじ」とやり返せば、「御身の様子何となく疑わしく、もし投身の覚悟にやと告ぐる者ありしゆえ職務上かく問うなり」と言うに、詮方《せんかた》なく宿所姓名を告げ、「活版所は暑くして眠られぬまま立出し」とあらましを話せばうなずきて、「然らばよし、されど余り涼み過ると明日ダルキ者なり、夜露にかかるは為悪し早く帰られたがよからん」との言《げん》に、「御注意有り難し」と述べて左右に別れたれど予はなお橋の上を去りやらず。この応答に襟懐俗了せしを憾みたり。巡査はまた一かえりして予が未だ涼み居るを瞥視して過ぎたり。金龍山の鐘の響くを欄干に背を倚せてかぞうれば十二時なり。これより行人稀となりて両岸の火も消え漕ぎ去る船の波も平らに月の光り水にも空にも満ちて川風に音ある時となりて清涼の気味滴る計りなり。人に怪しめられ巡査に咎められ懊悩としたる気分も洗い去りて清くなりぬ。ただ看れば橋の中央の欄干に倚りて川面を覗き居る者あり。我と同感の人と頼もしく近寄れば、かの人は渡り過ぎぬ。しばしありて見ればまたその人は欄干に倚り仰いで明月は看ずして水のみ見入れるは、もしくは我が疑われたる投身の人か、我未ださる者を救いたる事なし、面白き事こそ起りたれと折しもかかる叢雲《むらくも》に月の光りのうすれたるを幸い、足音を忍びて近づきて見れば男ならで女なり。ますます思いせまる事ありて覚悟を極《きめ》しならんと身を潜まして窺うに、幾度か欄干へ手をかけて幾度か躊躇し、やがて下駄を脱ぎすつる様子に走り倚りて抱き留めたり。振り放さんと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》くを力をきわめて欄干より引き放し、「まずまず待たれよ死ぬ事はいつでもなる」詞《ことば》せわしくなだむるところへ早足に巡査の来りてともに詞を添え、ともかくもと橋際の警察署へ連れ行く。仔細を問えど女は袖を顔にあてて忍び音に泣くばかりなり。予に一通り仔細を問われしゆえ、得意になりてその様子を語りたり。警官は詞を和らげて種々に諭されしに、女もようやく心を翻《ひるがえ》し涙を収めて予に一礼したるこの時始めて顔を見しが、思いの外に年若く十四五なれば、浮きたる筋の事にはあるまじと憐れさを催しぬ。「死なんと決心せし次第は」と問われて口|籠《ごも》り、「ただ母が違うより親子の間よからず、私のために父母のいさかいの絶えぬを悲しく思いて」とばかりにて跡は言わず。「父母の名を言うことは許して」というに、予も詞も添え、「こおんなの願いの如くこのままに心まかせに親許へ送りかえされたし」と願い、娘にも「心得違いをなさるなよ」と一言を残して警察署を立ち出でしが、またいろいろの考え胸に浮かび何となく楽しからざれば活版所へはかえらず、再び橋の上をぶらつきたり。今度は巡行の巡査も疑わず、かえって今の功を賞してか目礼して過るようなれば心安く、行人まったく絶えて橋上に我あり天空に月あるのみ。満たる潮に、川幅常より広く涼しきといわんより冷しというほどなり。さながら人間の皮肉を脱し羽化《うか》して広寒宮裏《こうかんきゅうり》に遊ぶ如く、蓬莱《ほうらい》三山ほかに尋ぬるを用いず、恍然《こうぜん》自失して物と我とを忘れしが、人間かかる清福あるに世をはかなみて自ら身を棄《すて》んとするかの小女こそいたわしけれとまたその事に思い到りて、この清浄の境に身を置きながら種々の妄想を起して再び月の薄雲に掩《おお》われたるも知らざりし。予がかくたたずみて居たるは橋を半ば渡りこして本所に寄りたる方にて、これ川を広く見んがためなりし。折しも河岸の方より走せ来る人力車々上の人がヤヤという声とともに、車夫も心得てや、梶《かじ》棒を放すが如く下に置きて予が方へ駆け寄りしが、橋に勾配あるゆえ車は跡へガタガタと下るに車夫は驚き、また跡にもどりて梶棒を押えんとするを車上の人は手にて押し止め、飛び下りる如くに車を下りたれば、車夫は予が後へ来りてシッカと抱き止めたり。驚きながらもさてはまた投身の者と間違えられしならんと思えば「御深切|忝《かたじ》けなし。されど我輩は自死など企つる者にあらず、放したまえ」というに、「慈悲でも情でも放す事は出来ない、マアサこちらへ」と力にまかせて引かるるに、「迷惑かぎり身投げではない」と※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]けば、「さようでもあろうがそれが心得違いだ」と争うところへ、車上の人も来られ、「万吉よく止めた、まだ若いにそう世を見かぎるものではない」と、問答の中へ巡査が来られしゆえ我より「しかじかにて間違えられし」と告げれば、この巡査顔を知りたれば打笑いて、「貴公あまりこの橋の上に永くぶらつかれるからだ。この人は投身を企つる者ではござらぬ」巡査の証言にかの人も車夫も手持不沙汰なれば予は厚くその注意を謝し、今は我輩も帰るべしと巡査にも一揖《いちゆう》して月と水とに別れたり。この夜の清風明月、予の感情を強く動かして、終《つい》に文学を以て世に立《たた》んという考えを固くさせたり。
懐しき父母の許より手紙届きたり。それは西風|槭樹《せきじゅ》を揺がすの候にして、予はまずその郵書を手にするより父の手にて記されたる我が姓名の上に涙を落したり。書中には無事を問い、無事を知らせたるほかに袷《あわせ》襦袢《じゅばん》などを便りにつけて送るとの事、そのほか在所の細事を委しく記されたり。予よりは隠すべきにあらねば当時の境界《きょうかい》を申し送り、人世を以て学校とすれば書冊の学校へ入らずも御心配あるなと、例の空想に聊《いささ》か実歴したる着実らしき事を交えて書送りたり。折返して今度は伯父よりの手紙に、学資を失いて活版職工となりしよし驚き気遣うところなり、さらに学資も送るべし、また幸いに我が西京に留学せし頃の旧知今はよき人となりて下谷西町に住《すま》うよし、久しぶりにて便りを得たり、別紙を持参して諸事の指揮をその人にうけよと懇《ねんご》ろに予が空想に走する事を誡められたり。
予は深沢にもその事を話し、届きたる袷に着替え、伯父よりの添書を持て下谷西町のその人を尋ねたり。黒塀に囲いて庭も広く、門より十五六歩して玄関なり。案内を乞うて来意を通ずれば、「珍しき人よりの手紙かな、こちらへと言え」と書生に命ずる主公《しゅこう》の声聞えたり。頓て書生にいざなわれて応接所へ通りしが、しばらくしてまたこちらへとて奥まりたる座敷にいざなわれたり。雅潔なる座敷の飾りに居心落付かず、見じと思えど四方の見らるるに、葛布にて張りたる襖しとやかに明きて清げなる小女茶を運び出でたり。忝けなしと斜に敷きたる座蒲団よりすべりてその茶碗を取らんとするとき、女はオオと驚くに予も心付きてヤヤと愕きたり。「蘭の鉢を庭へ出せよ」と物柔らかに命じながら主公出で来られぬ。座を下りて平伏すれば、「イヤ御遠慮あるな伯父ごとは莫逆《ばくぎゃく》の友なり、足下《そっか》の事は書中にて承知致したり、心置きなくまず我方に居られよ」と快濶《かいかつ》なる詞有難く、「何分宜しく願い申す」と頭をあげて主公の顔を見て予は驚きたり。主公もまた我面を屹度《きっと》見られたり。
先に茶を運びし小女は、予が先夜吾妻橋にて死をとどめたる女なりし。主公は予をまた車夫に命じて抱き止めさせし人なりし。小女は浅草清島町という所の細民《さいみん》の娘なり。形は小さなれど年は十五にて怜悧《れいり》なり。かの事ありしのち、この家へ小間使《こまづかい》というものに来りしとなり。貧苦心配の間に成長したれど悪びれたる所なく、内気なれど情心あり。主公は朋友の懇親会に幹事となりてかの夜、木母寺の植半にて夜を更して帰途なりしとなり。その事を言い出て大いに笑われたり。予は面目なく覚えたり。小女を見知りし事は主公も知らねば、人口を憚《はば》かりてともに知らぬ顔にて居たり。
予はこれまでにて筆を措《お》くべし。これよりして悦び悲しみ大憂愁大歓喜の事は老後を待ちて記すべし。これよりは予一人の関係にあらず。お梅(かの女の名にして今は予が敬愛の妻なり)の苦心、折々|撓《たわ》まんとする予が心を勤め励《はげ》まして今日あるにいたらせたる功績をも叙せざるべからず。愛情のこまやかなるを記さんとしては、思わず人の嘲笑を招くこともあるべければ、それらの情冷かになりそれらの譏《そしり》遠くなりての後にまた筆を執《と》ることを楽むべし。
底本:「新潟県文学全集 第1巻 明治編」郷土出版社
1995(平成7)年10月26日発行
底本の親本:「明治文学全集26」筑摩書房
1981(昭和56)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年7月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
饗庭 篁村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング