に焼くもろこしの匂い、煎豆《いりまめ》の音、氷屋の呼声かえッて熱さを加え、立売の西瓜《すいか》日を視るの想あり。半ば渡りて立止り、欄干に倚《よ》りて眺むれば、両岸の家々の火、水に映じて涼しさを加え、いずこともなく聞く絃声流るるに似て清し。月あれども地上の光天をかすめて無きが如く、来往の船は自ら点す燈におのが形を示し、棹に砕けてちらめく火影櫓行く跡に白く引く波、見る者として皆な暑さを忘るる物なるに、まして川風の肌に心地よき、汗に濡れたる単衣《ひとえ》をここに始めて乾かしたり。紅蓮《ぐれん》の魚の仏手に掏《すく》い出されて無熱池に放されたるように我身ながら快よく思われて、造化広大の恩人も木も石も金もともに燬《や》くるかと疑わるる炎暑の候にまたかくの如く無尽の涼味を貯えて人の取るに任すとは有難き事なりと、古人の作中、得意の詩や歌を誦するともなく謡うともなくうめきながら欄干を撫でつつ歩むともなく彳《たたず》むともなく立戻《たちもと》おり居るに、往来の人はいぶかしみ、しばしば見かえりて何か詞《ことば》をかけんとして思いかえして行く老人あり、振りかえりながら「死して再び花は咲かず」と俚歌《りか》を
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