ら呼吸を強くし力足を踏み、町はずれまで送りし人々の影を見かえり勝ちに明神の森まで来りしが、この曲りの三股原に至り、またつとめて勇気を振い起し大願成就なさしめたまえと明神の祠《ほこら》を遙拝《ようはい》して、末|覚束《おぼつか》なき旅に上りぬ。路用として六円余、また東京へ着して三四ヶ月の分とて三十円、母が縫いて与えられし腹帯と見ゆる鬱金《うこん》木綿の胴巻に入れて膚にしっかと着けたり。学校の教師朋友などが送別の意を表して墨画の蘭竹または詩など寄合書にしたる白金布の蝙蝠《こうもり》傘あるいは杖にしあるいは日を除け、道々も道中の気遣いを故郷の恋しさと未来の大望とか悲しみ悦び憂いをかわるがわる胸中に往来したれば、山川の景色も目にはとまらずしてその日の暮がたある宿に着きたり。宿に着きても油断せず、合客の様子、家居の間取等に心づけ、下婢《かひ》が「風呂に召されよ」と言いしも「風邪の心地なれば」とて辞し、夜食早くしたためて床に入りしが、既往将来の感慨に夢も結ばず。雁の声いとど憐なりし。峠を越え山を下り野にはいろいろの春の草、峰にも尾にも咲きまじる桜、皆な愉快と悲痛と混じたる強き感じの種となりて胸につ
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