兵至則從[#レ]遼、宋人至則從[#レ]宋、本朝(女眞)至則從[#二]本朝[#一]。其俗詭隨有[#二]自來[#一]矣。
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と評した。この評は燕人に限らず、廣く北支那人一般にも通用することが出來る。絶えず異族の侵略に暴露されて居る北人には、此の如き冷淡なる態度――旅舍の主人が行客を送迎するが如き――も亦、一つの必要なる處世法であつたかも知れぬ。
 ところが南支那となると、頗るその趣を異にして居る。茲では以前から異族排斥の風氣が強い。南宋時代の學者は、當時北支那を占領した女眞種族の金に對抗する爲に、盛に尊王攘夷説を主張した。宋の蒙古に滅された時、また明が夷狄の滿人に併呑された時、支那の歴史に稀に見る程、忠義の士が奮起して、頑強に抵抗を試みた。この最後まで戰つた忠義の士は、大抵南支那人であつた。
 國家や種族を愛護する念がより強く、知識もより進んで居る、且つ物力のより豐富なる南支那人は、支那の前途に就いて、北支那人より重要なる位置を占むべきは申す迄もない。支那今後の興廢盛衰は、多く南支那人の發奮如何に關係することと思ふ。吾が輩は南支那人に對して、多大の期待を有すると共に、彼等がその重大なる責任を自覺して、支那人一流の徒なる悲憤や、空しき慷慨にのみ滿足せず、進んで中華民國興隆の爲め、積極的にして徹底的なる方法を採らんことを希望するのである。
[#地から3字上げ](大正八年四月『雄辯』第十卷第五號所載)



底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店
   1968(昭和43)年2月13日発行
底本の親本:「東洋史説苑」
   1927(昭和2)年5月10日発行
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2002年2月26日公開
2004年2月22日修正
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