たことは申す迄もない。先生の勉強は實に驚くべきもので、宴會などの後でも、家に歸れば必ず其儘机に※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]つて、午前の一時二時迄も讀書を續けられる。『四庫全書提要』などは全く諳記して居られた。『九通』(『文獻通考』『續文獻通考』『皇朝文獻通考』『通志』『續通志』『皇朝通志』『通典』『續通典』『皇朝通典』をいふ)の如き、全部約二千三百卷の浩瀚なるもので全く通讀せられた。斯に通讀といふは、決して輕い意味の通讀ではない、眞實の通讀である。徳川時代の林大學頭は、一生の中に一度は必ず支那の正史を通讀し終る定めとなつて居つたとか聞き及んだが、其は兔に角『九通』を悉く通讀した學者は、わが國では古今先生の外恐くは一人もあるまい。
 先生の漢學に於ける造詣は測るべからざるもので、古文にも精通して居らるるが、時文にも熟達して居られた。日本廣しと雖も、先生ほど古文時分を通じて精確に漢文を讀み得たものは、他に斷じてない。『元朝祕史』などは、大體の意味なら、少しく漢學の實力ある者には、誰でも解し得るけれど、先生ほど精確に讀み得た者は、他に多くあるまい。支那通として有名であつた故楢原陳
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