政氏なども、是の點について大に先生に敬服して居られた。
世間には餘り知られて居らぬが、先生は國語にも中々精通して居られた。今より二十五年も以前に、先生が東京女子師範學校(今の女子高等師範學校)長をして居られた時に、國語文法の教授法のことについて議論せられたが、其の議論は當時に在つてたしかに一異彩を放つて居る。大槻文彦氏なども、常に先生の國文法に精通せらるることを推奬して居られたとか聞いたことがある。後年文部省より國語調査委員を命ぜられたのも、かかる理由からであらう。
外國語の中では尤も英語に通じて居られた。是れは慶應義塾で修業されたものだ。勿論漢文の力に比しては見劣りせられたけれど、諸種の參考書を讀むには十分であつた。晩年にはドイツ語をも學ばれた。昨年の夏、ドイツ語も追々進歩して、大抵の參考書を讀むに差支なくなつたと申越されたのを見ると、熱心なる先生の事故、餘程上達せられたものと見える。先生のドイツ語の學習を思ひ立たれたのは、例の『成吉思汗《ジンギスカン》實録』の譯述に着手せられてからの事である。この著述の際に、先生は蒙古の地理、殊に蒙古時代の中心舞臺であつた、喀喇和林《カラコルム》附近の地理を明かにする必要を感ぜられた。所が西暦千八百九十一二年の頃に、ロシアではこの地方即ちオルコン河の方面に學術的探險隊を派遣して、綿密なる調査を試みた。其の結果がロシア文か、然らずば多くドイツ文で書いてある。之を讀みたい爲に先生はドイツ語の學習を始められたのである。吾輩はこの時、先生にラドロフ氏(Radloff)の 〔Atlas der Alterthu:mer der Mongolei〕 其の他二三のこの種の書物を用達てたが、其の時先生は愈※[#二の字点、1−2−22]ドイツ語を勉強すると言はれたことがある。
年六十になんなんとして、然も『成吉思汗《ジンギスカン》實録』の著述に參考する必要があるといふ間接の事情から、困難なるドイツ語を勉強せられたのは、根氣の薄い日本人の間に於ては、稀有の美談といはねばならぬ。先生がモレンドルフ氏(Mollendorf)やシュミット氏(Schmidt)の著書によりて、滿洲語や蒙古語の研究を始められたのも、やはり是の時からの事と記憶する。吾輩は滿洲語や蒙古語は皆無承知せぬから、先生の之に對する造詣の何如をいふことが出來ぬ。
先生の學界に於ける
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