らざる事實であるが、それでは印刷術は東洋から西洋に傳はつたのであらうかと云ふと、隨分六ヶ敷い問題で、つまり今日では、確たる證據がないのであります。ある一部の學者は、西洋の印刷は支那の影響を受けて起つたものだと申して居ります。それは十三世紀に出た有名なマルコ・ポーロと云ふ人が、久しく支那に參つて居つて、十三世紀の末に本國のイタリーで、丁度浦島の龍宮歸りのやうな有樣で歸りました。非常な評判であつて、澤山の人々がマルコ・ポーロを訪問する。マルコ・ポーロが東洋から持つて來た土産物の中に、當時元で盛に使用した紙幣があつた。此紙幣は無論印刷したものでございます。元の前に國を建てた女眞の金でも、矢張り印刷した紙幣を使用して居ります。今日世界に現存して居る紙幣で一番古いのは、金の貞祐年間(西暦一二一三―一二一七)に發行された紙幣であらうと思ひます。勿論これも印刷されたものであります。丁度マルコ・ポーロより八十年餘り前のものであります。この時代に西洋に紙幣のある筈はありませぬ。そこでマルコ・ポーロを訪問して、この印刷した紙幣を見た人々は、誠に珍らしいことにいたし、この紙幣の印刷から思付いて、イタリー人が
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