板の下を火で熱するのである。すると火の熱で以て蝋なり松脂が溶けた時機を見計らつて、さきの鐵板と平行して、他の鐵板で活字の上を壓して、活字の面を水平にして印刷するのが、當時の方法であります。木で作つた活字も其當時出來て居つたが、銅とか鉛とかの金屬製の活字は、當時の記録に見えませぬ。ずつと後世の記録に始めて載せてあります。この金屬製の活字のことは、支那の記録よりも、却つて朝鮮の記録に早く見えて居ります。朝鮮へ活字の傳はつたのは、何時代のことか分りませぬが、高麗時代に丁度西暦十三世紀の半頃になると、立派に金屬で作つた活字があつて、これで書物を印刷してゐる。この金屬製の活字のことを、其當時高麗では鑄字と申しました。十三世紀の半頃に、李奎報といふものが作つた『詳定禮文』の跋によると、當時鑄字を用ゐて、この書物を二十八部印行したことが記載してあります。降つて朝鮮時代すなはち李朝時代となると、この活字の使用が益※[#二の字点、1−2−22]開けて、殊に李朝三代目の太宗は、銅製活字數十萬を鑄造させて居ります。朝鮮人は銅製活字は朝鮮人の發明だと自慢して居るが、いかにも記録の上から見ると、左樣な結論にもな
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