を惱ましたもので、當時の事實を記録した正應年間の古寫本(『伏敵編』所引)に、
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てつほうとて鐵丸に火を包で、烈しくとばす。あたりてわるゝ時、四方に火炎ほとばしりて、烟を以てくらます。又その音甚だ高ければ、心を迷はし、きもを消し、目くらみ、耳ふさがれて、東西をしらずなる。之が爲に打るゝ者多かり。
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とあるに據ると、我が將士が鐵砲の攻撃に、困難周章した有樣を察知することが出來る。
 蒙古軍は西域征伐をもやつたが、勿論この時火藥や鐵砲を使用したものと認められる。蒙古軍との觸接で、アラブ人(サラセン人)が火藥と鐵砲の使用を知つたのは、西暦十三世紀の半頃のことであらうと想はれます。兔に角火藥は支那からサラセン國へ傳つたものと見え、アラブ人は火藥の主要成分である硝石を Thelg as Sin 即ち支那の雪と呼び、火箭の事を Sahm Khatai 即ち支那矢と稱したさうであります。降つて西暦十四世紀になると、アラブ人から火藥が歐洲へ傳はりました。歐洲に於ける火藥の起源については、從來種々異説もありますが、近時火藥や火器の歴史を研究した學者の説は、多く
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