た紙が段々と輸出されました。そこで西洋の方でもパピルスや、革紙は次第に勢力を失つて、十四五世紀になると、歐洲でも製紙業が發達し、印刷術の應用と並んで、近世文明の發達を促がす大原因となつたものである。この紙の歴史については、私は京都大學から出て居る『藝文』と云ふ雜誌に、可なり詳しく述べて置きましたから、此處では極めて大略のみを紹介した譯であります。
〔次に遠洋渡航に尤も必要である羅針盤も、先づ支那で發明されたものらしい。實は羅針盤の發明や傳播の歴史は、まだ十分に研究されて居りませぬ。しかし今日まで知られた確實な文獻によると、支那では西暦十一世紀の末か、十二世紀の初に、既に航海に羅針盤を使用して居るが、アラビアや歐洲方面では、約百年後の十二世紀の末か十三世紀の初に、羅針盤の使用が見えて來るといふ。東西傳播の經路は未だ明瞭ではないが、今日の處では兔に角東洋方面で、より早く羅針盤が使用されて居つた事實は承認せなければならぬ。當時アラブ人は、東西兩用の間に、盛に海上交通を營んで居つたから、このアラブ人の媒介で、羅針盤の使用が、東洋から西洋へ傳播したものかと、想像すべき餘地が多い樣であります。〕
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