二大戰役の間に於て、大體我が國人の希望の如く改正せられ、朝鮮は明治四十三年八月に、わが國に併合された。建國以來我々の祖先が絶えず心に掛けて來た、國權の擁護又は擴張は、ここに完全に實現された譯で、祖先の神靈も定めて滿足を表して居るに相違ない。
尚又我々が國史を讀んで、神功皇后の御世や、豐太閤の時代に、我が國力の大陸に發展したことを想ふと、實に愉快に堪へぬが、此等の發展に幾十百倍した明治の御世の大發展を、我々の子孫が、遙か後世から如何に愉快に眺めるであらう乎。明治の發展は、ただに現代の我々のみに幸した許りでなく、我々の祖先もその慶に頼り、我々の子孫もその徳に浴する譯である。是の如く考へると、我々明治時代に遭逢した者は、實に開闢以來の果報者といはねばならぬ。
八
明治時代の發展に遭逢すべき幸運を持つた我々は、同時にこの折角の發展を挫折せしめざるべき、否一層之を助長せしむべき大責任を有することは申す迄もない。然もこの責任を果すことの容易でないことも亦自覺せねばならぬ。明治天皇御崩御後間もなく、英國の『タイムス』は、その紙上に、日本の新時代の困難といふ論文を掲載して、主として將來我が國民の精神問題に關して、容易ならざる困難の横たはれることを指摘した。ただにこの精神問題ばかりでなく、我が國民の前途には、種々の困難の存することを知らねばならぬ。米國の前大統領ルーズヴェルト氏は、嘗て次の如きことをいうた。
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地中海は曾て列國競爭の舞臺であつたが、新大陸發見と共にその時代は過ぎ去つた。之に代つた大西洋時代は、今日已にその絶頂に達し、やがて、衰微すべき運命を持つて居る。次に來るのは太平洋時代で、今や列國の競爭はこの新舞臺に移りつつある。この競爭は前二者に比して、遙に激烈であらう。
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太平洋の近く世界の競爭場となるべく、太平洋問題が二十世紀の大問題たることは、識者の多く一致する所である。太平洋裡に國して居る日本人は、大發憤をせなければならぬ。明治天皇の御製に、
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四方の海皆同胞と思ふ世に、など風波の立騷ぐらん。
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とある如く、我々は平和主義を尊重し、四海同胞主義を固守するとしても、何時風波が起らぬとも限らぬ。一旦風波が起れば、必ずその中心に當るべき太平洋裡に國して居る我々日本人は、不斷の用意だけはして置かねばならぬ。
吾が輩は大正の年號について、一個の解釋を有して居る。今囘もこの大正の年號の解釋を其儘、我が國民將來の方針に應用したいと思ふ。大正の字面は『易』の大畜の卦から出て居る。大畜の卦に、
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大畜剛健篤實、……日新[#二]其徳[#一]、……能止健、大正也。
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とある。大畜の卦は元來乾下艮上大畜とも、山天大畜ともいひ、天を代表する乾と、山を代表する艮との二單卦を重ねたものである。乾の卦は陽爻(※[#易の陽爻、横長の矩形一つ、562−17])のみより成立して居る故に、至健至剛である。乾は又健と通ず。乾の象は天である。天は四時の別なく絶えず運行して居る。故に天行健といふ。乾は要するに一日も油斷なく進取する義がある。日新[#二]其徳[#一]といふのはこの事である。[#図1、大畜]艮の卦は弱柔な陰爻(※[#「易の陰爻、陽爻を半分にしたものを二つ横に並べた形」、563−2])の上を、剛健なる陽爻が抑へ付けて居る。從つて内に抑へて外に出ささぬから、艮に止《とどむる》の訓がある。艮の象は山である。山は萬物を貯藏する處である。艮は要するに物を保存する義をもつて居る。乾と艮とを合せた大畜の卦には、他の善き所を採り、我が善き所を守りて、實力を蓄積すべき意味が含まれて居る。是故に大正とは、一面力めて世界の新知識新文化を求めて、これ日も足らざるが如く努力しつつ、一面では我が國古來の善美なる國體・國粹を保存し、此の如くして大に國力の充實鞏固を圖る意味である。
我が國粹を保存しつつ、外國の文化を採用することは、わが國過去千幾百年の長い歴史を通じて、絶えず實行されて居つて、決して新しい主義でない。そこで和魂漢才といふ言葉がある。菅公の頃から始まつた言葉であるが、この主義は菅公以前から夙に實行され、明治の御世となつては、同じ和魂洋才主義が實行された。
國家も生物と同じく、適者が生存するのである。我が國が建國以來連綿として今日に至るまで、常に適者の位置に立つことが出來たのは、和魂漢才若くは和魂洋才主義の御蔭である。大正の新時代も、やはりこの主義を遵奉するのが安全である。我が國の過去の歴史を觀れば、將來採るべき方針も、自然に理會されるのである。歴史を鑑といふのは是處のことで、温故知新は此の如くして活用すべきである
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