に對して、歐米諸國同樣の待遇を與へることとなつた。即ち不對等條約を結ぶこととなつた。第三者たる歐米諸國も亦、次第に日本を支那以上に待遇することとなつた。過去幾千年間、東亞の霸國であつた支那は、茲にその位置を日本に讓ることとなつたのである。これも東洋史上より觀て、稀有の大事變といはねばならぬ。

         四 世界の一等國

 日清戰役によつて、東亞の霸者となつた我が國は、日露戰役によつて、更に世界の一等國に列することとなつた。過去に於てあらゆる世界の問題は、歐米列強のみによつて決定された。東亞問題に就いても、日本や支那は、殆ど何等の發言權を有することも出來ず、すべて英露諸國の意志の儘に決定されたのである。日清戰役によつて、我が國の位置の高まつたといふ條、これは東亞諸國に對してのこと、三國干渉の發頭人なる露國が、わが國の遼東還附後三年ならざるに、厚顏にも支那に迫つて旅順・大連を租借した時、わが國からは抗議すらなし得なかつたのである。明治三十五年に結ばれた日英同盟によつて、我が國の位置の高さを加へたことは申す迄もない。世界の大國で、しかも久しく名譽の孤立を守つて居つた英國が、異人種異宗教の日本と同盟を結んだことは、隨分當時の世間を驚かしたものである。これは勿論我國にそれだけの實力あつたからではあるが、率先してその實力を認めてくれた英國の好意は、十分感謝すべきことと思ふ。
 日露戰役後は、英國以外の列強も、流石に日本の實力を度外視する譯にはいかぬ。東アジアに領土を有する大強國は、何れも日本と好意を通じ、各自の植民地又は領土の安全を圖ることとなつた。かくて日佛協約(四十年六月)、日露協約(四十年七月)、日米覺書(四十一年十一月)が、相前後して締結された。これは我が國を除外しては、東亞の平和の保障の出來ぬ證據で、現在及び將來列強の活動舞臺たるべき太平洋方面では、日本國の發言權が最も尊重されることとなつた。從つて世界の國際上でも、一等國の待遇を受けることとなつた。有色人種で、國際上白人種の大國と同一の待遇を受くることは、勿論過去の世界の歴史に於ても、稀有の事實である。

         五 文化の輸出

 我が國が支那と通交して以來、支那の文化を輸入するのみで、一度も日本から支那へ文化を輸出したことがない。所が日清戰役後は、この天荒を破つて、あらゆる文化が日本から支那
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