の高きことは、さきに紹介した爲[#レ]兄求[#レ]代疏一篇でも證明することが出來る。實に學徳才三絶の賢婦人と申さねばならぬ。班勇は父班超の死後、順帝(章帝の曾孫)の世に朝廷の命を受けて、龜茲、疏勒、莎車、于※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]等十七國を征服した。故あつて中途にして召還されて、十分の偉功を奏することが出來なかつたが、兔に角東漢の西域經營の最後を飾つた一人である。彼も亦文筆の嗜あつて、今の『後漢書』の西域傳は、多くその記録に本づいたものと傳へられて居る。
[#地から3字上げ](大正六年一月十七日―十九日『大阪朝日新聞』所載)



底本:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店
   1968(昭和43)年2月13日発行
底本の親本:「大阪朝日新聞」
   1917(大正6)年1月17日〜19日発行
※本居宣長の言葉として引かれている「唐人と人はいへども、唐人のたぐひならめや、孔子はよき人」は、『本居宣長全集』筑摩書房、第十五巻所収「鈴屋集」には、「せい人と人はいへとも聖人のたくひならめや孔子はよき人」とあります。
※底本の略系図では、「※[#「女+捷のつくり」、第4水準2−5−61]※[#「女+予」、第3水準1−15−77][#「※[#「女+捷のつくり」、第4水準2−5−61]」と「班穉」を「│」で繋ぎ、夫婦のように扱っていましたが、正しくは姉弟であるので、記号の用い方を改めました。
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2002年1月15日公開
2004年2月22日修正
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