『呂氏春秋』のうちに、略同樣の意見を述べて居る。
始皇帝はかねて韓非を崇拜して居つた。寡人得[#下]見[#二]此人[#一]與[#レ]之游[#上]、死不[#レ]恨矣とさへいうた程である。呂不韋は始皇即位の初に、國政を委ねた大臣で、然も始皇の實父とさへ傳へられて居る。この韓非、この呂不韋、何れも處士を抑へ古書を除くべしと主唱する以上、始皇は最初より處士と古書の處分に腐心して居たのは、むしろ當然のことと思はれる。かかる事情の下に、彼の尤も信任せる丞相の李斯が、思想統一の爲、君權擁護の爲、異端邪説に關係ある古書を禁止せんことを上書したから、始皇は直に之を納れ、遂に所謂挾書の禁、焚書の令が發布されたのである。
秦の焚書は、文運の大厄であつたことは申す迄もない。しかし世人は多くその書厄を過大視して居るやうである。現に『舊唐書』などにも、三代之書經[#レ]秦殆盡と記してあるが、こは誇張の言で、頗る事實を誣ふるものといはねばならぬ。始皇の典籍を銷燬した記事は、詳に『史記』に載せてあるが、之を熟讀すると、左の事實を否定することが出來ぬ。
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(イ)秦に不利益な記事の多い六國の史料は焚いたが、秦の史料は焚かぬ。
(ロ)醫藥・卜筮・農業に關係ある書籍は、民間に使用して差支ない。
(ハ)上記以外の書籍、殊に『詩經』『書經』及び諸子百家の書は、一切民間に所藏することを禁じ、必ず禁令發布後三十日以内に官省に差出さしめて、之を燒棄した。
(ニ)朝廷所屬の博士は、如何なる書籍を所藏しても差支ない。
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故に民間一般の書籍を燒棄したのは事實であるが、煩雜なる古文を竹簡に漆で書いて、書籍を作つた當時のこととて、書籍の價も甚だ不廉で、且は携帶にも頗る不便であつたから、民間の藏書の案外貧弱であつたことは申す迄もない。先秦時代に藏書の多きことを、五車の書と稱するが、竹簡に寫した書籍が五車に滿載する程あつても、今日の印刷にすれば、誠に貧弱なものである。されば當時の學者は、大抵は書籍を貯藏するよりも、書籍を諳誦したのである。東漢時代に紙が發明され、寫書やや容易となつた頃にも、民間では依然諳誦の風を繼續して居つた。また當時『公羊傳』『穀梁傳』等の如く、專ら口傳により、未だ竹簡に載せられなんだ書籍も多かつたから、天下の書を焚くといふ條、世人の想像す
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