記事を根據として、司馬遷の生年を考定したのである。『史記正義』の所傳も信憑すべきであらうが、單に遷年四十二歳とあつて、その根據が不明であるから、『博物志』の記事と異同ある場合に、來歴のより明確で内容のより信憑すべき、後者を採用するが當然ではあるまいか。後者を採用すれば、司馬遷は年二十六歳の時に、父司馬談を失つた譯で、かの「報[#二]任安[#一]書」中の「不幸蚤失[#二]二親[#一]」といふ文句に、よりよく適合するであるまいか。この『史記索隱』の所傳と、『史記正義』の所傳との、是非取捨如何に就いては、第三者の公平なる批判を仰がねばならぬ。

         八

 以上論述した所を要約すると、張惟驤の主張は牽強附會に過ぎて、勿論信憑し難い。王國維の中元五年説と私の建元六年説とは、一長一短ではあるが、その長短を對比計量して、建元六年説の方が、より無難かと思ふ。私が司馬遷の生年を建元六年と主張する所以は實に茲に在る。
[#地から3字上げ](昭和四年八月九日稿・『史學研究』第一卷第一號所載)



底本:「桑原隲藏全集 第二卷 東洋文明史論叢」岩波書店
   1968(昭和43)年3月13日
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