ス大の裨益と影響を與へて居る。この點より觀れば、彼は正しく支那史學の開祖として、百代に尸祝されるべき者で、西洋學者が彼に附與した「支那のヘロドトス」――The Herodotus of China――といふ稱號も、先づ當然と認めねばなるまい。所がこの支那史學の開祖たる司馬遷の事蹟は、存外に曖昧で確實に知られて居らぬ。
 一體司馬遷の事蹟は『史記』卷百三十の太史公自序と、『漢書』卷六十二の司馬遷傳とを、第一の史料とする。太史公自序は司馬遷の自傳であるから、彼の事蹟に就いては十分詳實なるべき筈であるが、實際は必ずしも左樣でない。司馬遷の粗笨なる頭腦と、豪放なる筆致とは、記載せざるべからざる事項をも省略し、明確とせざるべからざる事項をも曖昧にして居る。班固の司馬遷傳も「報[#二]任安[#一]書一篇」の増補を除けば、その他は太史公自序の無責任なる鈔襲のみで、上述の缺陷に就いて、何等裨補する所がない。要するに『史記』と『漢書』とのみでは、司馬遷の事蹟を正確に知ることが出來ぬ。私は不確實なる司馬遷の事蹟の中で、彼の生年に就いて、聊か所見を披瀝したい。『史學研究』の創刊に際して支那史學の開祖たる司馬
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